自尊心は必要やで。

エリック・ホッファーのことは以前、「由良守生ブログ」の方に書いた。学生時代にスキー場のアルバイトをした時、全国から季節労働者が集まっていて、何やこの人たちは、と驚いたものだ。若者も老人もいたから、この記事に書いてあることとあまり変わらない。40年前は56豪雪というのがあって、スキー場は大盛況だったのだ。

アルバイト人生、そんな言葉もこの時に聞いた気がする。私は大手企業に就職するつもりだったので、この人たちの生き方、存在がとても奇妙に思えたものさ。しかし年とともに、人にはそれぞれに思いがあって、懸命に人生を生きていることに気が付くようになる。それがホームレスではなく、ハウスレスだ、という気概なんだろうか。

日本でも、ギリギリのところで踏ん張っている人があちこちにいる。転落していく人もいる。楽な人生なんてどこにもないみたいだ。私は駅前アパートの管理人だからさ。言えないことはたくさんあったさ。それにしても日本では、なんで風力発電の低周波被害に「止めろ」という言葉が言えないんだろうか。べつに被害者でなくとも、同じ地域の人が低周波被害で苦しんでいて、転居や死に追いやられていく姿を見ているはずだ。

笑いものにしたり、「関係ない」と言ったり、あまりに社会意識のないことに驚くではないか。そこには自尊心という思いはない。苦境に陥った被害者たちに自尊心はないのか。地域対策はそれほど過酷で容赦のないものなのか。たしかに私に対する弾圧はこれまで書いてきたように凄まじいものであった。今でも「ウソつくな」と罵られるからね。

被害地域は分断工作で、地域の繋がりはすっかり破壊されていく。あの谷口さんでさえ、11人の昔からの友人知人が次々と来て「由良さんがアンタのことを気違いだと言いふらしている」と伝えてきたというのだ。初めは笑い話として、疑心暗鬼になったらあかん、と話し合っていたはずが、しばらく経つと「出ていけっ」と私に叫ぶようになっていた。

人の心なんて簡単に操られるものらしいのだ。そして「私たちは風力発電には反対ではありません」と私に言うようになっていた。ロボット化されたのだ。つまり被害地域では、自尊心を利用されたのか破壊されたのか、いいように被害者は消されていった。地域の人々は眉をひそめてタブーとした。私は総スカンになっていた。私のようなのを鈍感というんだろうか。

風力裁判でコテンパンにやられても、まだこんな記事を書いている。これも自尊心なんだと了解している。だって日本には風力発電の低周波被害を訴えるものは私一人になっているからだ。風力発電の被害者諸君、堂々と被害を訴えようやないか。人間性を取り戻そう。そして地域の人々も、いかに自分たちがアホな役回りに狂わされているかという実態に気が付いてもらいたいのだ。

こんなことを書くと、また罵声を浴びさせられるんやろうね。まだ言うてるんか! とさ。それでも風力発電の低周波被害でたくさんの人が苦しんでいることを書き留めておく。