自由自在の気候変動のテーマ

地球温暖化説による様々な予測は、この記事のようにことごとく的外れが分かっている。それを無理して「気候変動」と言うから、ますますおかしな論理? 物語、ウソの上塗りがまかり通るようになる。テレビを見ていても、コメンテーターが「これから気候変動の危機によって、ますます自然災害が増えていきます」と真剣に話している。

おかしいと思わないか。先日、福島県いわき市の人と電話で長話したけれど、たしかにいわき市では去年、台風がいくつも来て、ひどい災害になった、という。私の和歌山県では、最近台風による被害はほとんどない。私が子供の頃の台風(60年前)は、屋根の瓦が木の葉のように舞い散ったから、それは恐ろしい暴風雨だった。

大雨が何日も続いたりした。しかし最近ではそんな異常気象はない。福島や東北の方へ移っていったんだろ、と笑い話にしたものよ。では、なんで気候変動の危機と言って、ありもしない不安を煽り立てるのか。環境相や経産相、総理が口をそろえて言うのだから何か意味があるんだろう。それが風力発電の被害に直結していることだけは確かだ。

汚い金を集金して、それが闇に消えていく。イノベーションが大切だと言う。何のことやらさっぱり分からない。たぶん、環境運動家の連中も「水は燃えるんです」程度のアホさ以上のものではない。マ・レ主義やナチス運動、国家社会主義みたいな時代の狂気が作り上げたんだろうと思うのだ。

それでなきゃ、風力被害で苦しむ人を迫害して、死んだら手を叩いて笑いものにするなんて地獄絵を見ることはないだろう。風力発電を止めよう。電気で風車を回していることは分かっている。電気の無駄遣いではないか。扇風機と言って誤魔化していた人たちよ。被害者に対する迫害、これがやはり印象的であった。悪党は地獄に落ちろ。