炭素税だと

前ページでは、手塚宏之、Mark P. Millsの記事を記載した。再エネによる脱炭素社会など、およそあるはずがない、という当たり前の論理だ。それが今日の産経記事では、炭素税を科す、と書く。再エネ賦課金と同じで、モラルハザードを生じるだろう。理想と現実の風景の乖離を見たか。風力発電は現実には電源としていかに役に立たないものであるか、評価を欠いていることに違和感を覚えないか。

風もないのに風車が回っている。連携システムを構築するという。大型蓄電池を開発するという。もともと風なんか吹いてないのさ。現地の人なら、そのアホらしさが嫌というほど分かっているだろうが。もし、今ある自動車が、すべて電気自動車になったらどういうことになるだろう。日本全国、発電所でいっぱいになるんと違うか。風次第、天気模様の再エネは当てにはならない。

今日は雨なので電気はありません、ってか。12/28日のページに書いたとおり、御用学者は巨額の税収が入ると嬉々としている。再エネ利権があるんやね。結局はカネかい。こんな表面の記事に隠されて、風力発電の被害者は消されてきた。ジェノサイドだ。ヒツジにされた被害者たちよ。単に笑いものにされて排除されてきた。日本では、私一人が風力被害を訴えている。

各地のエセ反対運動は、金儲けの駆け引きに使っている。カネになるんだろう。被害地域は確実に崩壊している。人間がおかしくされているのだ。もともとヘンな人はいるけどさ。被害者は虐待されると人間性を失っていく。全国で行われている「納得してもらう」政策だ。恐怖政治だということがやっと分かったよ。