風力裁判と、幕末、維新へ

私の風力裁判の結果を見て、地域では笑いものにして喜んでいる人たちがいることは何度も聞かされてきた。それも仕組まれたワナだということも十分に分かっている。我家には由良守應という面白い男がいたので、罰金40万円も、異様な取り調べも、時代の波として受け止めていた。警察や検察、裁判官は酷いものでしたよ。この記事に書かれていることは、有名な弾圧で、草莽崛起とは何か、大変な大波に洗われたことだろうと思うのだ。

しかし時代は確実に動いた。守應を追放した役人たちは、維新後、竹のざるを持って物乞いして歩いたという。武士でも何でもなかったのだ。これもよく言われる話だが、吉田松陰には多くの友人、知人がいた。魅力のある人だったんだろう。守應は文政十年(1827)生まれだから、松陰より三歳年上か。ちょうどこの時期に守應も追放されている。彼の場合、追放されてからが活躍の始まりとなる。我家の昔話では、女の人のおしりを触ったから、ということになっている。

私はこのウソ話が大好きだ。祖母たちは一族の誇りにしていた。とまれ風力裁判よ。下関でも散々な風力判決があったと聞いている。彼らは風力被害者ではなく、単に風力反対運動をしていただけなのだ。罰金1500万円と懲役刑(執行猶予)か。どちらが、ということはないけれど、世間の風は冷たくて、誰も反応する人はいない。地球温暖化、自然エネルギー、CO₂削減、国連気候サミットのグレタさんの言葉通りに動いている。反抗するものは犯罪者として取り締まる。

だからでもあるまいが、誰も近づかない。本当は無関心なだけなんだが、犯罪者にされたものには蔑視、差別、嫌悪が投げつけられる。幕末の長州藩には、そんな事件がたくさんあったと聞いている。小説やドラマになった名場面がたくさんあるので皆さんも知っているだろう。風力発電で、本当に電気が賄えると思うか? 風力発電の被害など聞いたこともない。私の思い込みを書いているだけだ。本当にそんな裁判が通ると思うか。誰も答える人はいなかった。

「考える会」、エセ風力反対運動、言葉のすり替えばかりになっている。海外の風力被害情報、風力反対運動を伝えても、誰も反応しない。9年前、初めて由良町議会で、谷口さんらの被害状況を伝えた時、「由良さん、ここは日本ですよ。なんで外国の話ばかりするんですか」と職員にからかわれた。私はその時まだ海外の被害状況など知らなかったのに、職員たちは知っていたのだ。彼らは風力被害を十分に知っていながら被害者を否定して笑いものにしていた。

もちろん次々と被害者が死んでいくのを見て笑っていた。何がそんなにおかしいんだろうと、今も不思議でならないのだ。一緒に役場に抗議しに行ったジャーナリストたちはすっかり沈黙している。汐見文隆医師は、「これは国家犯罪だ」と怒りの言葉を残して亡くなった。後に続くものはいない。私一人になってしまったよ。よかったら、風力発電の被害を訴えようやないか。低周波被害で苦しみながら死んでいった被害者たちの魂は、きっとそこらに残っているで。