風力反対運動は花盛り

ふと「風力反対運動」の画像欄を見てみた。全国の風力発電反対が、ドッサリとアップされているではないか。今や風力発電は迷惑でしかない。「野鳥の会」などのエセ環境運動家たちが、懸命にウソこいていた結末は、海外の反対運動と同じことに収斂していたのだ。「考える会」という被害隠ぺい組織も、すでに嘘の魔法は消えている。

前ページでも、ドイツの再エネの破綻を明らかにしているしね。いつまでも「ドイツでは上手くいっている」「再エネ100%の国や地域がある」なんて嘘は通用しない。しかし個々の反対運動を見ると、今だに地域活性化、固定資産税の収入、自然エネルギー、だといったキャンペーンが謳われている。

風力計画地域には、スパイや工作員がいて、コテンパンに社会が破壊されるからね。伊豆や伊方、由良町の惨状を見れば分かるでしょ。人間性を奪われると、被害者だけではなく、地域の人々が皆おかしくなるのだ。汐見文隆医師は、各地の風力計画地、被害地から迫害されて追放されてきた。

私はそれを見て、この人は神か、と彼の執念を信じる気持ちになりました。私も畑地区で見ているけれど、汐見先生も、よっぽどの酷さを見たのだ。被害者から罵られたこともあちこちに書いている。これはいかんな、と思ったのだ。これからはもっと風力反対運動は盛り上がるだろう。

ただ一つ、日本には、「Stopwind turbine」(風力発電を止めろ)という言葉がない。被害者を差別して、嫌悪しているのだ。これは水俣病の時もそうだった。伊豆でも伊方でも、由良町でも、風力発電の低周波被害を訴える人は誰もいなくなったでしょ。なぜなのか皆さんは知っていますよね。苦しみながら亡くなるか、転居して出て行った。

それを周囲の人は笑いものにして喜んだ。これが今回の風力発電の被害の本質であろう、と考えている。地域社会は、地獄に突き落とされたのだ。地獄の血の池を見ているのに、人々はわずかばかりの協力金と、嘘のいたわり、被害者への、そして私への差別心で満たされている。管理社会になっていた。行政や政治のなせる業よ。

風力発電の、何が悪いのか、ご自分で考えてみよう。採算とか、効率とか、そんなことよりも、被害者がいて苦しんでいる。なんでそれを笑いものにして否定するのか、それほどあなたは冷酷な人間だったのか。周囲が笑えば、ご自分も一緒になって被害者を笑いものにする。それでよいと思うのか。

私の風力裁判では、警察や検察、裁判官、原告、すべてが茶番劇であった。由良町では、誰もが大喜びしたと聞いている。谷口さんが亡くなった時、手を叩いて笑った人たちと同じ有様だ。誰もが「関係ない」という。他にもたくさんの風力被害者がいるのに、「アホよら」というのだ。

何もこれは由良町だけのことではない。各地の被害地で行われていることだ。これが『風力発電の被害』に書いた事実なのだ。骨のある人がいたら、私に協力していただきたい。日本では、誰も「風車を撤去せよ」と言わないのだ。いや、汐見先生が生前、そういって私を励ましてくれた。