風力被害に取り組む理由

7/4日付けの『民衆の敵』について小林先生と話しました。以下、そのやり取りです。

【問】

今日は少し社会学の立場から、私がこの風力被害に取り組むようになった経緯を見てください。7/4日の私のページに、イプセンの『民衆の敵』を紹介しました。100ページほどの薄い本です。演劇の台本仕立てで、セリフだけのスカスカですから、1時間もあれば楽々読み終えます。長周新聞の解説がありますから、それだけで内容は拾えます。

この本の前に、私は日吉フミコさんの水俣病の本を読んでいました。ひょんなことから、水俣市に住んでいながら水俣病のことを何も知らなかった、から始まります。ストックマンと同じタイプです。私も低周波被害なんて、全然知らなかったし、関心もなかったのです。それが被害者の谷口愛子さんに頼まれて、由良町議会で訴えることになって、1回目、2回目、と段々に事件が内容を深めていったのです。

ついに被害者が死んでいくことになった時、議員たちは手を叩いて笑いました。踊って喜ぶ人もいました。私に見せたかったんでしょう。私は驚きましたよ。怒ってよいのか、もちろんそうですが、笑ってよいのかと、なんとも言えない苦しさを感じました。やがて被害者たちは私を排除して、自分たちで「考える会」を作ったといっては喜んでいた。地域の人は「わしらは関係ない」と言うようになっていた。

そして私は総スカン、村八分になっていた。たまたま先祖に幕末の志士がいて、刑務所に有名人たちと放り込まれたことがあったので、そんなものかと思えるくらいの鈍感さを持っていたものでした。西郷隆盛なんか見ますと、すごいですからね。ところがですよ、先日読んだイプセンの『民衆の敵』、その解説にはエンターテイメント、コメディ、だと書いてある。

他の出版社の解説も読んでみたけれど、大体同じように「喜劇」だと書いてある。イプセンの本は有名なので、解説のほうが文が詰まっていて、まじめに書き込んである。では、私のやっていることは喜劇なのか? コメディをやっていたのか? と自分でも不思議な共感というか、ショックを受けたものです。確かにあの時、議員や職員たちは被害者を笑いものにしたし、「誰も被害を訴える人はいなかった」、と議会でウソの証言をした。

私は感動のドラマを見て、ひたすら驚いていた。ただで、こんな緊張した場面を見られることなんかないわな、と。この人たちは悪魔なのかと思いましたよ。地元新聞も私を非難した。サンケイやアサヒといった大手新聞社を集めて記者会見を開いたこともある。ボロクソに愚弄されましたよ。まさに『民衆の敵』に書いてある通りでした。こんなにピッタシと、台本に合わせて進行する現実もあるんですね。

それでですよ、小林先生も遠くから見ていて、由良町で私一人が、被害者はすべて裏切ってしまって、地域の人々も態度を急変させて、風力発電の低周波が隠蔽されてしまう、否定されてしまう事態に、これは喜劇だといえるものかどうか、お聞きしたいのです。もちろん環境運動家たちは面白半分、オチョクリで楽しんでいます。彼らにはレジャーなのです。今から8年前にはまだ、インターネット上に風力被害を嘆く投書がたくさんありました。

それらはすぐに消されてしまった。結果として私一人が残った。地域の人は私を誹謗することで楽しんでいる。役場は勝ち誇っている。インターネット上で風力発電の被害を訴えているのは私一人になっている。試しに、由良守生と検索して、「画像欄」を見てみるとすごいことになっている。全て風力メーカーの写真ですよ。これを見た人たちは笑い話にしているでしょう。勝った、と。

日本にはなぜ 「Stop wind turbines ! 」 Kein windpark といった抗議運動がないのか不思議です。各地に散見する風力反対運動は、どれもボロボロですよ。皆さん私のページを見ているから情報がないわけじゃない。聞けども聞こえず、見れども見えず、なんです。やはりこれは誰かが演出した喜劇なんでしょうか。苦しみながら死んでいった人には申し訳ないが、ユダヤ人を殺しまくって笑っていたドイツ人と同じく、笑い話として、「アホよら」といって、軽蔑するしかないんでしょうか。

【小林先生からのメール】

イプセンは「人形の家」は読んだことがあるけれど、「民衆の敵」というのは知りませんでした。とりあえず、ウィキペディアを参照してみましたが、これをどうとるかは人それぞれだけれど、僕はこれがコメディだという説は信じられませんね。町で温泉が発見されたけれど、主人公の医師は、それに身内の工場からの廃液が混ざる可能性に気づいて、温泉開発に反対、あるいは温泉管路の引き直しを主張する(この辺は原文を読んでいないからわかりません)。

ところが、温泉を開発して一儲けしたい連中は彼を非難し、真実を必ずしも知らない大衆もそれに同調して、この医師を敵視する、という話のようです。これが何で喜劇なのでしょう?人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ というチャーリー・チャップリンの言があるけれど、そういう意味の喜劇だというのならわからぬでもないけれど、「民衆の敵」をそのように見るというのがイプセンの正しい理解かというとはなはだ疑わしい。

風力発電に話を移すと、風力発電をしたい連中がいる。風力開発業者とそれにプラスの利害関係を持つ町当局等々。ところが風力は低周波音が出るからやめてくれという人たちがいる。だが、多勢に無勢 どちらでもいい連中は次第に勢いの強い方に同調していくので反対者はだんだん少数になり、しまいには民衆の敵のような存在に陥らされる。でも現実を見てごらんなさい。風車はろくに動いておらず、日本の電力供給にほとんど寄与していない。

町に残ったのは、ほとんどいつも停まっている風車と、それ等がずらっと並んでいることによる景観破壊という負の遺産だ!ぼくにはそんな風に思えるのです。イプセンの「民衆の敵」をエンターテイメント・コメディだなどという見方はまじめな見方とは思えません。チャプリンの言は皮肉なんですよ。

小林