より深刻な気配

「杞憂」という言葉があって、人間にはどうにもならない天気などは、いくら気にしても始まらないといわれてきた。アメリカのトランプ大統領も、天気の話はするけれど、それをどうしようなどとは誰も言わなかった、と昔の小説家を例にして、地球温暖化論を否定していた。日本にもCO₂温暖化説を否定する学者が多くいて、この記事の中でも説明を加えている。彼らの本の中には、当然のように太陽活動が地球の気候を決定しているのだという論説を掲げていて、今更という気がしないでもない。

それでも最近の観測結果として、そろそろ寒冷期に向かっているのではないか、という気配があるというのだ。私は百姓をしているので、寒冷化は、かなり厳しい結果をもたらすだろうと考えている。今から60年前、私たちが子供の頃、コメはそんなに収穫はなかったし、ミカンも少なくて酸っぱかった。みんな貧しかったから、それでも美味しい美味しいと言って食べていたけれど、米の飯ならまだ良いほうで、麦飯を食べていた家庭も多かったではないか。サツマイモの茹でたのを食べていた人もいただろう。

昔のみじめな暮らしを言われたくはないだろうが、和歌山の田舎では、大体そんな感じだった。親父の友人で、小学校教諭を長く勤めていた人が言うには、芋どころか、食べるものもなくて、昼ご飯の時には、そんな子供たちは校庭でブラブラとして遊んでいたもの、だったそうだ。かわいそうだけれど、私の弁当を分けてやるにも、そんなことしたら私が食べられなくなる。今の飽食の時代がどれだけ有り難いことか、と教えてくれた。何よりも冬の寒さが身に応えた。

霜柱、軒の氷柱、バケツの水は分厚く凍っていた。「私たちは二酸化炭素CO₂が必要です」という時代が来るんだろうか。日本の環境相が言うように、まさに気候変動の危機よな。地球温暖化説は環境ビジネスと連携している。たとえ寒冷化したとしても、同様にして風力発電が必要です、というだろう。気候変動などは金儲けのダシだったのだ。我が家では50年前まで親父が牛に鋤を引かせて田畑を耕していた。私は図画の時間にそれを描いて特選を貰って、賞品に絵の具を頂いたことを覚えている。

そこまでの準備はいらないだろうが、持続可能な百姓生活を少しは取り戻しておきたいと考えている。自然との共生よ。今年の夏は更に暑くなるという。千年前の平安時代は、今よりも暑かったというから、いずれピークが来て、寒冷化に向かうんだろう。歴史がそれを証明している。そしてその節目には、社会変動が起きている。コロナウィルス、バッタの異常繁殖、格差社会、社会の退廃、大変な時代になりそうだ。由良町の風力発電を撤去してくれ。低周波被害で気分が悪いのだ。

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