コロナウィルスで時代が変わる。

前ページで、スペイン風邪がナチス運動を舞い上がらせて、ヨーロッパでの大虐殺に至った経緯を書いた。もともとは少数ながら社会風土としてユダヤ人差別が根強くあったという。もしスペイン風邪がなかったら、大東亜戦争、太平洋戦争もなかったかもしれない。原因は、今もよく聞く彼らの差別心らしいのだ。

ヨーロッパを旅した時、知人たちの一人が私に向かって、「この人はユダヤ人なんですよ」と笑いながら教えてくれたことがあった。私にはそこらのヨーロッパ人との区別はつかなかった。路上で物乞いするジプシーみたいなのとは全然違っていたからね。さて風力発電の被害よ。戦後民主主義やグローバリゼーションの中で、すっかり習慣付けられて、思考を奪われてしまっていた。

私たちは物事の真実の姿を見透かす能力を無くしていたのだ。風力発電とは何か? 何も考えることなく言われるままに、多額の費用を支払ってきた。そのことすら気が付かない人は多い。私は30年前のバブル経済で、カネさえ儲ければそれでよいとする時代の変換を見た。大量消費社会である。人々の心がカネで買えるようになっていた。

今回のコロナウィルスで、貧富の差はさらに広がるだろう。中流意識なんて最近聞かないからね。その恨みがどこに向かうのかと、前ページに書いたつもりである。コロナウィルスも風力発電も、一つのきっかけよ。これで社会が壊れていく。全体主義に向かう恐ろしさを、これから見ることになるだろう。

「いや、それは違うだろう」と言っても、人間性の崩壊する現場では何の言い訳にもならないことをこの8年間に見てきたものよ。再エネ賦課金が5月から値上げされる。多額の協力金が地域にバラ撒かれる。苦しみながら亡くなった被害者さんはご苦労さん、だったのだ。風力発電を止めよう。被害の原因を無くさないで、いくらカネにしたところで、社会は崩壊しているで。