悲惨な風力被害者は、なぜ抗議して怒らないのか。

悲惨な風力被害者は、なぜ抗議して怒らないのか。

低周波被害者の会の窪田泰さんは「なぜ由良さん一人だけが風力被害を訴えているのだろう?」と不思議がっている。

彼にそう言われてみると、日本では私一人が風力発電を止めろ、撤去しろ、と抗議してきたことに思いを馳せる。

汐見文隆先生からは「君は土木科出身だろう。ダイナマイトで爆破してきなさい」と言われた時には、思わず目頭が熱く痛くなって泣けてきたことを覚えている。

h23年の11月から、私は風力発電の被害者から低周波被害の苦しさを、これでもか、と聞く羽目になったのだが、その人たちはすでに多くの人に相談して知識を蓄えていた。私は新参者として、彼らの意見に従う、聞き役でしかなかった。

「何とかしてくれ」とは言われたが「止めてくれ」という言葉はなかったように思う。風車騒音がものすごかったので「ゆっくり回してくれ」とも言っていた。

なんせ周波数1Hz、2Hz周辺で音圧は90dbを超えていた。

私は米軍厚木基地の滑走路わきで、s58年に1年ほど働いていた。ファントム戦闘機の爆音が音圧100dbを超えていると聞いていた。誘導員たちは両耳にヘッドホンを付けて防護していた。

事務所の窓はビンビンと振動して鳴っていた。とても会話するような環境ではなかった。

私はどうもなかったけれど、近隣の住宅地では、寝ていて鼻血が出てくるような低周波被害があったと後になって聞いた。

土木工事のような激しい労働をしている時には低周波被害にあいにくいらしい。私の宿舎は飛行場から離れた大和市の静かなアパートだった。戦闘機の飛行ルートではなかったのだ。当時、現場の所長もそう言って、静かな地域、アパートで良かったと話していた。

これが、あのタッチアンドゴーを繰り返す飛行ルートにあったら、私も低周波被害を体験していたかもしれない。

大韓航空機撃墜事件の時は、10機、20機と、まるでトンボでも飛んでいるように無数に飛び交っていた。

h23年、24年頃の風車騒音はすごかった。「なんとかしてよう」という声をあちこちで聞いた。h24年2/25日の事後説明会の録音があるから聞いてみたらよい(2018.1/20、1/22日のページ)。30人余りの被害者が出席していて、それぞれに大声で被害の苦しさを訴えている。

それでも日本気象協会や風力業者は大したものよ。彼らは落ち着き払って、人々の抗議の声を簡単に抑えてしまった。

「なんなら説明を止めときましょうか」と威嚇したのだ。

それまで騒いでいた人たちのだらしない事よ。急に塩もみされたレタスのように縮こまってしまっていた。何度も場数を踏んだもの特有のプロフェッショナルだったのだ。

私も過去に、土木設計コンサルタントとして、大勢の出席者の前で図面を広げて説明をしてきたからね。彼の力量、テクニックがこなれたものだと理解をした。内容は人をアホにしたものだった。

その録音を聞いていると、谷口さんだけがあらかじめ個別に計測された調査報告書を突き返して、「こんなものは意味がない」と話し始めている。

私もその報告書を持っているが、「主な音は国道を走る車の音であった」と書かれていることに唖然とする。

また、役場幹部職員が二人出席していたので、役場の対応の酷さも力を込めて訴えている。

彼らに反省はなく、その後も、最後まで風力被害者を否定して弾圧を加えた。

このころ、『ハンナアーレント』や『アイヒマンの末裔』の映画がヒットしていて、同じような経過をたどることになるとは私にも分からなかった。

結果からすると、谷口さんはその後「考える会」のとりこになり、「私たちは風力発電には反対ではありません」と言うようになる。環境運動家たちに取り囲まれて、薬漬けになっていく。

私には激しい言葉で拒絶していた。「一人でやったらいいでしょ」と。

「あんた一人、なにヘンなこと言ってるの。みんながあんたのことをおかしいと言ってますよ」と。

畑地区の人々からはすごい拒否反応だった。「出ていけっ」と、道を歩いているだけで叫ばれたものよ。

それが私の住む門前地区でも同じことになっていた。田圃で稲刈りをしていると、何人かの人が怒りの言葉をぶつけてきた。

さらに、由良町のどこに行っても私は拒否されていた。「何度も同じことを言う」「もう聞きたくない」というのだった。

そしてh25年には「被害はない」「関係ない」と誰もが私に嫌悪の表情と共に言うようになっていた。

h24年にはまだ、泣き叫びながら「こんなん仕事にならんやないか」と私に両腕を振りかざしながら訴えた人もいたものよ。

3人か4人に、そんな訴えをされて私も困った。それからその連中が次々と死んでいく。

谷口さんの録音(2019.10/28日のページ)にあるとおりだ。ただ、誰もが、次は自分が死ぬとは思っていない。他人事として、風車に殺された、とおぼろに知っていたようだ。被害者たちは薬漬けになっている、と谷口さんから聞いている。

もちろん「考える会」では、その話をしているし、主催者たちは、それから行政も、被害者の死を確認している。録音の中で主催者がそう語っているからね。

確信的な殺人が行われていたのだ。

谷口さんは何度か御坊警察に風力被害を訴えに行っている。親類の人が以前、署長をしていたのでコネがあったんだろう。

私も谷口さんやジャーナリストたちに言われて3度ほど御坊警察に行って、2階の刑事課まで足を運んで相談した。しかし先日、私はなぜか御坊警察の取り調べを受けて「由良さんだけだよ」と風力被害を訴える私を黙らせるためか、刑事からそう断言された。

私は何度か「谷口さんと言う被害者が被害を訴えに来ています」と反論したものよ。警察も風力被害の隠ぺいに加担していた。私は何度も脅されたと感じた。警察も行政だからね。

風力発電の低周波被害は、重症者で100人に1人か3人ぐらいと言われている。10人くらいは低周波のあることが分かるという。汐見先生や海外の識者は、被害意識のない人でも、20~30%の人が被害にあっているだろうと書いている。

h26年に東大の研究生がアンケート調査した結果では、畑地区で18.9%の人が被害を感じていると回答している。その研究室では全国の被害地で同じような調査をして実態を取りまとめている。町役場とも連携していて、秘密裏に行われている。私でさえ何も知らなかった。親父の知人から、各家庭に調査票が手渡されていたという情報は受け取っていたけれど。

畑地区ではすでに10人ほどが亡くなっているから、畑地区だけで60人余りが被害者になったことが分かる。

ただ、被害感もなく、脳溢血などでヘンになっている人もいる。その人たちは「被害はない」「関係ない」と強烈に語気を強めて被害を否定していた。彼らには感情の高ぶりがある。風力被害者独特の顔なのだ。

「被害らて、ワシらは面白うてならん」

「風力発電は畑地区のもんや。オマエラ関係ない」とも。

私も風力被害者なので、聞くに堪えない言葉を聞かされることが多々あった。この人たちは本当に人なのかと、まるで異質な人類を感じたものよ。

由良谷を北側の山々から見下ろす21基の風力発電である。誰もがその音を聞き、被害があることを知っている。私は新聞広告にも折り込みチラシを入れて配布したし、選挙演説などでも散々に低周波被害を訴えた。

しかし結果は総スカンの落選だった。とくに被害地域ではほとんど誰も私に入れる人はいなかった。

あれだけ被害者を弾圧した議員に、人々はペコペコして媚びを売っていた。逆に、私には嫌悪の目を向ける。

あれから1年経った今も、私が総スカンで落選したことが面白いと言って、わざわざ私に伝えにくる人がいる。私は結構親切にしてきたつもりであったが、世間とはそんなものなのだろう。その人の実家は畑地区で、その周辺ではバタバタと被害者たちが苦しいと訴えて亡くなったところなのだ。それを知っているのに、「面白い」というのだ。「関係ない」という。

私の両親が、祖父母が、あれだけ親しくして世間付き合いを重ねてきたのに、その人だけではないけどね。

自分たちが大変な被害に覆われていることに、それが全く分からないのだ。目の前に巨大な風車が轟音を立てて回っているというのに。

後に残った被害者たちもまったく同じ態度なのだから、被害を自ら否定することで、生きていく切符を手に入れたんだろう。奴隷というか、囚人というか、私とは異質な人間であった。

実は全国の風力被害地で同じ現象が起こっている。伊豆、伊方、下津町、広川町、他にもっとたくさんあるだろう。

風力被害に抗議しているのは私一人だ。インターネットでも、誰も風力発電に反対する人はいない。下関や石狩、由利本荘などでも、反対グループがあるように伝えられるが、どうも中身が怪しい。

風力被害を否定する御用学者を招いて勉強会をして、環境運動家を講師にして、問題のすり替え、エネルギー問題、環境運動会になっている。誰も低周波被害、風車病に苦しめられ、人生を破壊される被害者の話をしない。

風力発電を止めろ、という人は誰もいない。

各地にはすでに風力被害者がいて苦しんでいるという。しかしその被害者たちは「私たちはもういいですから」と言っている。由良町の畑地区と同じことか。ヒツジになると皆さんそうなるらしい。環境運動会ではそれが面白いのだ。見世物の珍獣、生贄レベルの話になっている。人権意識はどこにもない。

たまに各地の運動家に電話して聞いてみる。

「こちらはそうでもないですよ。そんなに苦しんでいる人はいません」と毎回同じ答えが返ってくる。まるで地域対策要員だ。

オマケに、それぞれの行政に電話しても同じ答えを聞くことになる。

「風力被害はありますか」

「いいえ、こちらにはありません」

由良町役場にもたくさんの問い合わせの電話があったそうだが、やはり同じ答えだったと聞いたことがある。由良町役場では、問い合わせはないと言っている。それよりも町民からの被害の訴えもないと言っている。すごいと思わないか。

彼らは権力の末端となり力を与えられて自己実現できたことに陶酔しているのだ。対象とした弱者はごく少数で抵抗できない。罪に問われることもなければ証明されることもないのだ。こんなラクチンな愉悦もない。しかも利権がある。どんな恩恵があるのか楽しみだ。誰でも得する方を採るだろう。日本では誰もこのシステムに逆らう人はいない。由良守生くらいか。

私はh24年当初から、由良町議会で議員たち、職員たちの凄まじい弾圧の嵐にあって、その悪行を体験したものだが、やがて地域の人々も、笑うような被害否定の言葉を繰り返すようになる。

先の谷口さんと東伊豆町を視察した人は、その後、頭上に巨大な風車が回る大きな別荘地を格安で手に入れたと言って喜んでいる。私との会話は、「関係ない」という言葉で続いている。「そんなもん関係ないって」とさ。

海外では、これまで紹介してきたように、各国でたくさんの抗議運動、反対運動が起こっている。被害調査、研究論文もたくさんあって、これもブログに翻訳して記載している。

日本の環境省や騒音制御学会のものとは格段に内容やレベルが違って、「なんでや」と驚くほかない。

それを環境省の報告書では「海外に知見はない」と毎年記載するのだから異常であって、実に恐ろしい現実になっている。他にもたくさんの異常な記述をして、風力被害を否定している。被害者にとっては弾圧以外の何物でもない。これを環境運動家たちはマニュアルにして使っているのだ。

被害を及ぼす卓越した周波数はない、とかね。聞こえないでしょ。なにも感じないでしょ、とさ。

日本の野鳥の会や「考える会」などの環境運動家は話にならない嘘八百を繰り返している。

「ドイツでは・」とか「「ドイツでは上手くいっている」と、あたかも海外では風力発電が成功していると自信たっぷりに繰り返すのだ。

そして風力被害を否定して、被害者を黙らせる。

なんや、こいつらは、と私は最初から不思議に思った。彼らは風力被害隠ぺいの仕掛けだったのだ。

風力発電には低周波被害のあることは初めから分かっている。

環境省が『調査報告書』という形で被害を否定する。被害者を苦情者と言い換えて「精神疾患のもの」と決めつける。そのあとは御用学者、御用運動家を使った風力被害否定のオンパレードよ。そして現地では、野鳥の会や「考える会」が個別に被害者を破壊して黙らせてきた。

由良町役場や県の環境課、環境省などは全く受け付けることなく、厳しい拒否感情をぶつける専門の組織であった。どこか一つでも風力被害を取り上げた組織があっただろうか。まさに全体主義であった。

弁護士にも何度も相談に行ったが、ことごとく拒絶された。日弁連では再エネを大幅に増やすようにと経産省や環境省などに何度も意見書を提出している。気候ネットというNGOを作ってまで企業献金を受けて風力発電などの推進に力を入れている。カネやね。

裁判にならないのだ。由良町議会では、何度も「裁判しろ」とけしかけられたが、結果が分かっていたのだ。

そうであっても、誰も風力発電の低周波被害を訴えることができない、なんてヘンでしょ。

海外では、あれほど被害者とともに地域の人々が協力して「Stop wind turbines !」「Kein windpark」とデモ行進して被害を訴えているのに、日本には一つもない。

あたかも被害者を心配している風を装った全国の「考える会」など、被害の否定を繰り返し、被害者を黙らせることが目的であった。

被害者にとっては、真逆の仕掛けであったのだ。

風力発電の低周波は測定データを見れば明らかなように、被害成分が突出した強力な音波だ。1.000倍、10.000倍のエネルギー変化、空気振動、気圧変動が被害者を襲う。

伊豆でも伊方でも、由良町でも、それは地獄絵を描いたのだ。

風力被害者の生活は破壊されて、その人たちは死んでいった。あるいは自宅を捨てて引っ越していった。じっと我慢して人生を苦しみの内に過ごす人もいる。私もその一人かもしれない。私は戦っているし、抗議しているからね。

日本では、風力被害者は攻撃の対象にされている。決して誰かが助けようとするものではなかった。珍獣よ。水俣病やイタイイタイ病と同じことだった。差別の対象よ。

ヨーロッパ名やアメリカなどの風力反対運動、抗議運動との何たる違いよ。それを海外の風力メーカーが見ていて、日本参入が始まっている。風力業者は大喜びだ。環境運動家も政治、行政、経済界の国を挙げての風力推進だ。各地のエセ反対運動の本質も金魚の糞、そんなものよ。

環境保護団体という得体のしれない組織が多数名を連ねて問題のすり替え、被害の低減に向けて、とか、自然エネルギーという耳障りのよい言葉、イデオロギーにすり替えてしまう。

風力被害者の出る幕はない。由良町だって、これだけの被害を出しながら「被害はない」だからね。人の尊厳、人権意識なんてものはどこにもない。それどころか、面白いのだ。

人が苦しんでいる。その人が苦しみながら死んだ。

「アホよら、アホよら」と手を叩いて踊って喜ぶ。本当にそうやって踊ったんやで。

何のためにそんな行政になるのか私には分からない。

ただ彼らはそうしなくては気持ちが収まらないほど、嬉しくて面白いのだ。「テンション高いな」と運動家は表現している。

そこにはもう「知らない」ではなくて、何でも知っている。どこにも行くところのない被害にあった人が1%か3%いる。自分はまだ生きている。この幸運を喜ばないでどうする。周囲の人も同じように「アホよら」「関係ない」と言って笑っている。

みんなと一緒になれるのだ。盆踊りと一緒よ。中流意識よ。原因は生贄かもしれないが、社会にリスクはあって、黙っていれば地域活性化資金か協力金か知らないが配ってくれる仕組みになっている。出席さえすれば日当がくれるのだ。なにも生産せずとも、カネだけが支給される。素晴らしいではないか。

町にも税金が入るという。町の発展に風力発電は必要だったのだ。だから全国に普及して、誰も被害を訴える人はいないのだった。

しかしなぁ、風力発電の電気は使い物にならないという。必要な時に、必要な電気がなければ使えないからね。蓄電設備があるというけれど、採算を考えれば無理だろう。揚水式ダムなど、仕組みと採算を見れば笑ってしまう。何をやっているのかと。

それに人間とは、人を思いやることで社会が成り立っている。何の罪もない人を、たまたま低周波被害にあって苦しんでいるというだけで、特別に差別して貶めて嫌がらせをして喜ぶ、なんて浅ましい姿が丸見えよ。

魔女狩りみたいなもんよ。グロテスクな悪意に気が付かないか。

風力発電の舞台裏は、カネを作るための仕組みだという。これまで17年間に80兆円を再エネに費やした。年間5兆円のカネを再エネに使っているという。すべて税金だ。何か良いことがあったんだろうか。自然のエネルギーなのに電気代は安くはならない。むしろ12%も余分に再エネ賦課金として集金されている。その支払いを拒否して電気を止められたという山田征さんの行動の意味が重たい。普通はそれくらいの拒否運動を市民運動とすべきなのだ。だが既存の環境運動家たちの言動は真逆になっている。偽物さ。

地球温暖化だ、CO₂削減だと政治や行政と一体となっているのだ。全体主義よ。

私はs34年生まれで、祖母が国防婦人会の会長さんをしていたので、戦争の話をよく聞いた。子供の頃はまだ、手や足のない元軍人さんたちが高野山などで物乞いをしていた。爆弾を抱いて自爆攻撃をする特攻などもあった。今のイスラムの爆弾事件ではないよ。どう違うんだろうか。どちらも聖戦だよな。

何度も赤紙が来ても行かなくてよい人たちもいた。白洲次郎もテレビドラマで言っていたが、どんなときにも社会には裏側があったのだ。じゃぁ、あの戦争で戦死した人たちは何だったのか。

進め火の玉一億火の玉だ、なんて言っていたメディアは、政治は、行政は知らん顔か。

同じことが風力発電でも如何なく発揮されている。

上手く風力発電から逃れた地域も多々あるでしょ。

その逆に、これでもか、と風力被害者を弾圧して苦しめた町もある。議員も職員も、環境運動家も嬉々として被害者をクスリ漬けにして殺した。特攻の時も麻薬、シャブを打って出撃したと聞いている。思いやりだったそうだ。

そんなことまでして人殺しをせずとも好いものを。汐見先生は「キサマニ医師の資格はない。医者なんか辞めてしまえ」と怒った。

人は虐待されると動物になってしまう。ドイツの強制収容所だけではなく、今も北朝鮮などでニュースになっている。風力被害者が、そして地域の人々が、風力被害を訴えることができない理由は、大体こんな所だろう。

谷口さんが亡くなった時、議員たちは手を叩いてワッハッハッと笑った。私は耐えられなくて、そのカウンターから逃れたが休憩室でも同じように笑いものにされていた。

後日、同じ話を地域の人から何度となく聞くことになる。全く同じ言葉、同じ順序で話していた。

「アイちゃんは何で死んだんよ」

「風車に苦しめられて亡くなった」

「違うよ。ガンで死んだんや。何も知らんのやな、ワッハッハッ」

まるで魔法にかかったように、それらの人は顔を赤らめて興奮して喜んでいた。今も同じことを言っているだろう。「由良さんの選挙よ。誰も入れる人はいなかった。面白いわな。ワッハッハッ」と。

全国の風力被害地で、同じ社会現象が起きている。人が死んだら面白いんやって。

そして風力発電の計画地では、風力被害の否定の勉強会が盛況だ。風力被害者の姿はない。たまにダシにされて、珍獣として見世物にされている。あらかじめ仕組まれた構図になっている。

風力発電は悪党ばかりよ。泥沼に咲いた蓮の花、それが私だと思っている。

誰か真面目に風力発電の低周波被害を訴えて、抗議しようじゃないか。そろそろ頃合いだろう。

「由良さん、ここは日本ですよ」と笑いものにするアナタ。国際的に君はただのバカ(馬鹿)です。

外国人にバカにされるとどうなるか。昔のChinaを見れば分かるでしょ。結果もあるから知っている人もいるはずよ。

由良町は今、日本だけではなく世界から見られている。「これが日本システムか」という例題として。

常に日本人は調査されている。以前、コロンビア大の研究者に教えてもらった。日本人は獲物にされている。そこには生存をかけた敵意がみなぎっていた。