これだけの被害を出しながら、なぜ「被害はない」というのか?

これだけの被害を出しながら、なぜ「被害はない」というのか?御坊市周辺の風力発電計画に対して、なぜか地域の人々は反応しません。

低周波音被害のことを話しても、たくさんな資料を渡して説明しても、何も意見を口にしないのです。さすがの私も「ヘンやな?」と感じています。

由良町の由良港ですと、図に示すように、南の方が日高町になるので風車群が大きく見えるでしょう。とくに由良町では、風力発電被害が大きく報じられて、全国有数の被害地となっています。その由良町でも、何の情報提供もなく、風力計画に関心を持つ人が誰もいないのです。

由良町の知人たちに聞いても「何も知らない」と無関心ぶりを笑いでごまかします。「私のホームページを見てほしい」と頼んでも、「最近は見ていない」と言ってキョリを取ろうとします。

由良町役場や被害地域では「被害者はいない」「関係ない」と言っていますから、当然の結果なのかもしれません。なんせ2月の選挙で総スカンを食って、町全体で拒否されて、それが票数となって実証されました。

私は今も、夢を見ているような錯覚を感じます。数人の風力被害者が私に泣きながら苦しさを訴えました。H.24.2/25

日の説明会では30人ほどの被害者たちが大声で怒鳴りました。2018.1/201/22日のページに、その声の録音をアップしています。

それがいつの間にか「関係ない」と言って、今は言葉にすらしないのです。全く無視ですね。これが地域の今の姿、町の有り様でした。

随分と冷酷な人たちだったんだ、と私は世間の恐ろしさに驚いています。

私はインターネットを使って、風力被害の情報を流していますが、誰も助けてはくれませんでした。被害者ですら「私たちは風力発電には反対ではありません」と主張して死んでいったのです。

私はたくさんの被害者から「出ていけっ」と叫ばれました。環境運動家たちからは、ウソつき、オオカミ少年、エラそうに言うな、と散々な批判をされました。

汐見先生もそうだったな、と懐かしく思います。谷口さんからも「風力被害にあったおかげで人というものがよく分かったよ」と何度も聞かされました。

私も選挙を通じて、人というものがなんであるのか、今更ながらに感心しています。

米長邦雄の『不運のすすめ』ではないですが、何もしないより、やってみて、初めて深い人生を味わうことができる、ということです。

結局、人口6千人の由良町では、誰一人として風力発電被害に関心を持つ人はいませんでした。

畑地区の被害者たちの苦しみも、死亡に至る経緯についても、知っている人はいるのに、誰も同情しないし、「関係ない」というのです。

寺の坊主であろうが、教育委員長だろうが、同じように冷淡でした。

多少はエライんだろうと思っていた人が、すべてそうだったのですから、失望というか、社会性の低さ、民度の低さに、私がこれまで持っていた劣等感など跡形もなく消えて、私でも自由に生きていいんだという優越感みたいな解放された気になったこともありました。

そりゃ、人が苦しみながら、苦しみを訴えるのを聞いても、「関係ない」「アホよら」と笑って喜ぶのですから、私など、まだまだ可愛い百姓の小倅でした。

とくに由良町で一人だけ風力発電の低周波被害を訴えたというだけではなく、全国でも、たぶん私一人だと思っています。

低周波被害者の会の窪田さんは、低周波被害を理解する数少ない人の一人です。最近はあまり怒らなくなった。汐見先生はよく怒っていた。

東伊豆町や南伊豆町では、たくさんの被害者が引っ越していなくなったので、被害者がいなくなった。自称被害者たちが「私たちは風力発電には反対ではありません」というのはヘンな話でしょう?

由良町でも、すべての被害者は(いや、私以外は)、同じ言葉「私たちは風力発電には反対ではありません」と言うようになっていた。中には泣きながら言っているアホもいた。(もう死んだけどね)

それを面白がっている地域の人々がいる。町民がいる。「関係ない」と。

h.2312月当初から、この地域対策は強力に進められていたんだと思う。被害者も加害者も、簡単に罠にかかって、それぞれの役割を演じていた。たぶん補償はなかっただろう。

地域活性化事業、里山事業などで、もらえた人はどっさりもらっただろうけれど、人生と引き換えにするほどの金額ではなかったと感じている。地域の人と一緒にという同調圧力、低周波被害の苦しみを言葉にしない、できない人間性の放棄が生活となったのだ。

おかげで被害を訴える私一人が村八分となった。エライ役をもらったものよ。

由良町だけではなく、全国の「考える会」などからも総スカンを食っている。なぜ全国の風力被害者たちは「風力発電を止めてくれ」と正直に言わないのだろう。

それは全国の「考える会」が被害者を弾圧して黙らせているんだろう。

先日の前ページには、石狩の講演会で田鎖の「気のせい」「障害者の病気」という話に人々は拍手喝采した。被害を否定して、何がそんなに楽しいのだろう。ポピュリズムってこういうものか。

私はこれまで「人にやさしい人間」だとは全く気が付かなかった。

この7年半を振り返ると、周囲の人はみな冷血人間に見えてしまう。私の家族や親類でさえそうなのだから、他人さんはなおさらだろう。

汐見先生やNina Pierpontの偉大さがよく分かったよ。これはカネでは買えない貴重な体験でした。

世の中の厳しさ、世間の悪意、そう悪意と言っておこう。善意ではないよな。人が苦しみながら死んでいるのに「アホよら、アホよら」と笑って喜ばれるのだから、見事な演出だった。

そして、できるなら私一人を憎まないでもらいたい。私も一人で百姓をして暮らしているのだ。

私は低周波被害の重症者だと思っているが、まだ死に至ることなく生きている。たくさんの被害者の死を見てきているので、たまらないのだ。

先日、ドイツでも風力被害があるらしい、という人がいた。

私がドイツ人たちから直接聞いた話では、ハンブルクやハイデルベルクなど一般的な地域では、風力発電は見かけない、どこに風車があるのかさえ知らない、と言っていた。

日本と同じで、特別な地域だけが風力被害地となっているのだ。原発も同じよ。いらん地域でしか、そんなものはない、ということだ。

しかし由良町のような被害地域が全国各地にあるのかと思うと怖くないか。

被害に苦しむ者を差別して、弾圧して、引っ越して逃げ出すと笑いものにして喜び、苦しみながら亡くなると手を叩いて喜ぶのだ。まるでホラー映画ではないか。悪い冗談は止めてくれ。風力発電は止めてくれ、と私は言っている。

もしかしたら、日本全体がそのような人々になっているんだろうか。

ヨーロッパやアメリカでは、風力被害を調査研究する文献がたくさんある。

日本では、「海外にはそのような知見はない」として低周波被害を否定する調査報告書が毎年積み上げられている。

御用学者の厭らしさに辟易する。

そして何より、被害地域の人々が「風力発電を止めろ」という抗議運動が一つもない。考える会のような御用運動があるだけである。

私一人が今、風力発電の低周波被害を訴えて、「風力発電を止めてくれ!」と訴えています。

ぜひ、みなさんには目を覚ましてもらいたい。

誰がウソをついて、ダマしているのか。

誰が被害を否定して、喜んでいるのか。

誰がエコ利権をもらって、得をして笑っているのか。

被害者はなぜ、被害を否定して死んでいったのか。

被害者は、どんな弾圧を受けて自尊心をなくしていったのか。

低周波音被害とは何なのか? 考えてもらいたいのです。ご自分の人間性のためにね。

 

 

 

 

 

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