真実に生きる

昨夜、NHKの番組で水俣病の記録ニュースをやっていました。水俣病に苦しみながら、差別を恐れて被害を否定していたことを話していました。妹さんが生まれながらの被害者で、地域社会の厳しさもあって、30数年も症状を隠し続けたそうでした。その家の血統だとか、悪病に取りつかれているとか、まさに社会的な弾圧があったことを話していました。

じゃぁ、なぜ初めから正直に苦しさを訴えなかったのか。大勢の被害者が訴えて、問題の解決? が一応一段落してから、「じつは・・・」と言い出すのは、私にはとても理解のできないことでした。その上で彼はおこがましくも「真実に生きる」決心をしたんだとか。アホか、と私は思いました。それでもあの地域の人は今でも「言ってはならないんだ」と言ってはばからない。

天皇陛下の行幸があっても、水俣宣言があっても、何も変わらない。殺された人は帰ってこない。人の恨みはなくならない。私は風力発電の低周波被害を訴えていますが、まったく同じ構造になっていることに最初から気が付いていた。被害者が苦しんでいるのに、地域ぐるみ、行政ぐるみ、環境運動ぐるみで被害者を弾圧していた。

「苦情を呈するものは精神疾患のものである」環境省の報告書に記されたこの言葉に、谷口さんは打ちのめされていた。私がこの言葉に抗議するたびに、「その言葉を言うのは止めよ。由良さんの家にも昔、頭のヘンな人はいたやろ」と怒りをあらわにしていた。誰かが常に煽動していた。マインドコントロールしていた。谷口さんは何重にも取り囲まれていたからね。

伊豆半島の風力被害で、10年前にあった被害調査の報告書はどうなったんだろうか。地域の被害者たちが真面目に取り組んでいた資料よ。被害者たちは叩き出されたりして引っ越していなくなったんでしょう。ウソツキだけが残ったと聞いている。由良町でも、すっかりやられてしまった。「由良さん、あんたこの選挙で落ちるで」と何度聞かされたことか。それを言う人の嬉しそうなことよ。

「そうか、よかったじゃないか」と笑顔で答える私。私は名誉の勲章だと思っている。今や全国で私一人が風力被害を訴えている。「その人たちはもう死んだんでしょう?」被害者が死んでいなくなると、もういいじゃないかというわけだ。そういうわけにいかないことが分からないらしい。私の行動哲学だ、というと、ほとんどの人は怒りだす。

公害とは、こういう社会崩壊、倫理の破壊を言うんやろうね。