管理能力のない福島原発

福島原発の後始末です。事故はH.23.3/11日だったから、もう7年半にもなる。たくさんの汚染水を垂れ流してきました。被ばくに苦しむ人もいる。そして今日の記事です。私は、日本人には原発を管理する能力はない、と判断していますが、まさにその通りの出来事が記事になっています。

延々とこんなことを繰り返してきました。汚染水の貯蔵タンクには、今も高濃度の汚染水が大量に蓄積されています。どうするんだろうね。たぶん、余分なお金を大量に投入し過ぎたのだ。もともと原子力ムラと原発メーカーの閉ざされた世界のことです。

利権構造が出来上がっているし、ボロ儲けの業界であることは誰でも知っている。地域対策にも多額の費用が費やされている。地域社会の支配、弾圧と隠ぺいです。福島では今、大量の風力発電が建設されている。低周波被害を訴える声はない。

というより、当局は歯牙にもかけないのだろう。被害なんて、まったく顧みられずに、被ばく被害の言葉もない。民主主義は破壊されているんだろう。感情の自由な発言は許されないことなのか。実は、由良町でも私一人なのです。

あれだけ風力発電の低周波に苦しみながら死んでいった人たちでさえ、「私たちは風力発電には反対ではありません」と何度も聞かされる羽目に遭いました。こんな道理に合わない話もありません。おかしいと思いませんか?地域ぐるみで風車被害を訴える者を黙らせて、潰したのです。

もともとそんな人ばかりでしたけど。私は「出ていけ!」と追い出されることの繰り返しでした。汐見先生も同じく汚い言葉を投げつけられて弾圧、追放されてきました。それでもあれだけの著書を書き続けて低周波被害の恐ろしさ、人間性の必要を最後まで訴えました。

まさに博覧強記の先生でした。役場の手先、事業者の手先になって喜ぶ哀れな地域の住人達。野鳥の会、日弁連などの環境運動家も、国や行政の手先になって働くことが名誉であった。地域社会の破壊工作、スパイ、環境調査、被害の否定、いろんなサポートに尽くしてきた。

被害者に対する思いやりはどこにもない。そうではなく、子供や老人、病気で弱った人も含めて地域社会でしょう。たまたま被害に遭って苦しむ人を弾圧して黙らせて、それが何の役に立つものか。

「黙って役場の言うことに従わなければならない」という人こそ、村八分にして笑いものにすればよいのだ。ここで健康で文化的な生活をしていく権利があると主張しようではないか。一部の悪党に踊らされて、弱い者いじめをして悪党になるのは止めようや。

「被害はよくわからない」というのは止めようや。風力発電には低周波被害、シャドウフリッカーがあって、健康に悪影響があることは分かっていて、風車建設を進めること自体が悪なのだ。