笑いの正体。

風力発電の発する有害な低周波に頭がやられる。体が参ってしまう。これが風力発電に反対する、抗議する理由です。そして同時に、低周波被害に苦しむ人が苦しさを訴えて亡くなると、議員たちは手を叩いて笑って喜んだことでした。

畑中町長は風車との関連はないと、なんと当初から今まで7年間も繰り返している。一度たりとも被害者たちに救済の手を差し伸べることはなかった。「被害の報告は1件もない」と。(このウソには私も参っている)というよりも、様々な弾圧をおこなった。被害者を笑いものにした。

私があの時、畑地区の谷口さんから依頼を受けてH.23年12月議会で風車被害を訴えてから27回も連続して一般質問を行った理由には、こんな感情的な反発があった。被害者は泣いていた。

懲罰委員会、懲罰議会と、とんでもない弾圧が由良町議会で20数回も繰り返し行われた。議員たちは大はしゃぎで喜びにあふれていた。これは事件として、再検討しなければならないでしょう。由良町議会の一大事とは、こんな腐った行事でしかないのか。

野鳥の会、日弁連などの環境運動家も「風力発電に被害はない」などと私の訴えを否定して喜んでいた。わざわざ何回も我家に資料をもって説明に来た人までいる。きれいにファイリングされていたので、多分ほかの被害者にも使っていただろう。

しつこく何度も電話してきた異常者もいた。本当に夜中に電話してきて叫ばれました。「被害はない。勝手なことはさせない」と。なぜ彼らは風力発電の低周波に苦しむ人を笑いものにして虐待するのか。そして被害者が亡くなると笑い声をあげて喜ぶのか。

被害地域の畑地区、中地区、門前地区、三尾川地区の中にも、もちろんそういう人がいた。順番としては、議員、環境運動家、そして地域の住民の順だった。というのも情報の伝達が明らかに見えたからでした。同じ言葉を同じ順序で話す。受け売りの言葉で、その人の情報網が透けて見えました。

由良町は古い歴史があります。今でも班という10軒~20軒単位の回覧板、県民便り、議会便り、などを配布する組織、仕組みになっています。戦時中の隣組や、江戸時代にも同じような監視機能があったはずです。私は門前地区に住んでいますが、門前区長や副区長などからひどい弾圧を繰り返されました。

「お前だけだ。そんなこと言うやつは」と。「黙れ!」と。これは畑地区で聞いた言葉と同じでした。もちろん一番最初に聞いたのは、畑地区の被害者が由良町役場に被害を訴えた時、「あんただけだよ。誰もそんなこと言う人はいない」という残酷な言葉でした。Youtubeに谷口さんの証言がアップされているので見てみるがよい。つまり、風力発電の被害対策は、初めから用意されていた。

そりゃそうだろう。県下では、下津町大窪地区、広川町山本地区と、汐見先生が低周波被害を訴えていて、本にしてまで被害と訴えを公言していた。『左脳受容説』h.19年行政が知らないはずはないだろう。先生は行政に訴えていた。

H.23年には、汐見先生は完全にそれらの地域からも、由良町からも追放されていた。由良町でも最初の風力計画(h.19)の時、講演に来てくれていたのだ。それを由良町の人たちは憎しみを込めて追い払った。「もう風力の話はごめんだ」と。役場の弾圧があったのだ。さて議員さんたちの笑いの正体です。

なぜ被害者が苦しむと笑うのか。死亡すると手を叩いて喜ぶのか。私はNHKのドキュメンタリーで、ナチスドイツの兵士が笑いながらユダヤ人を殺している風景を何度か見ました。あれと同じ感覚だとすぐに理解しました。アドルフヒトラー総統が悪いと人は言いますが、実際に笑いながら殺人を行っていたのは下級の兵士たちでした。たぶんヒトラーは一人も、自分の手では殺していないでしょう。

「人は簡単に残酷になれる」私が全国の風車反対の人たちと話しながら聞いた言葉でした。そこには道徳もなければ倫理もない。人を殺すのが面白いのです。権力を嵩にきて、残酷な行動ができる。少なくとも弱者となった被害者を言葉によって虐待して貶める。自分の内にこもる憤りをぶっつけてやっつける。

その被害者たちは、それぞれの信じる議員、役場の部署に懸命に訴えたのだ。それを役人は、雲の上の人と自覚してか、罪にはならないと錯覚してか、彼らは瀕死の被害者たちを攻撃した。弱い者いじめの典型やね。重症の被害者になると、頭がワンワンッとして重くなり、何を考えるにも集中力がなくなります。気絶することも何回もあるのです。私も経験しました。

性格や言葉遣いも変わっていきます。顔つきも変わります。変な人になってしまうのです。議員たちにとっては、煩わしい汚らしいものでしかない。死んだ、と聞くと、それはホッとして喜びがこみあげてくるのでしょう。自分は何もなく健康に生き延びている。被害者でなくてよかったと。

被害地域の人ですら、ほとんどの人はどうも感じない。せいぜい10%の人だから、10人に1人あるかないかなのです。H.27年の大学生のアンケート調査では、5人に1人が被害症状があると答えているけれど、我慢できる人がほとんどでした。それを言葉にすれば周囲の人から虐められる。虐待される。知らん顔して弱い者いじめに参加している方が楽と考えたことでしょう。

先の谷口さんでさえ、決してアンケート調査のことを口にすることはなかった。たくさんの圧力、ウソの作り話に取り囲まれていた。そして本当に具合の悪い人は、ほとんど死んでしまっていた。亡くなった被害者の人は、「次は誰やろう?」と自分の順番が来ることを知りながら、じっと我慢をして口を閉ざした。

被害を言葉にすると弾圧されるので言いたくとも言えない状態に置かれていた。私も、ずーっと、由良町議会で同じ状態にあります。「趣旨を変えたらどうよ」、「風力のことばかり言うて何になる」、「誰も本気に聞いてへんで」被害者は、何重にも取り囲まれて監視されていたのだ。そして入れ替わり、立ち代わりしながら黙らせたのだ。

谷口さんは私に、「11人の人が次から次に来て、「由良さんが私のことを気違いだと言って、言いふらしている」と言ってきた。みんな私の古くからの大切な友人です」と怒りをぶつけてきた。

11人もの人が同じことを言ってくるなんておかしいとは思わないか? と問い質したけれど、彼女は亡くなるまで私を憎み続けた。心の中まで操られてしまうのだ。その何人かの友人というのを聞いて知っているけれど、共産党のズルイ人や、癖のある信用できない人でした。元公務員が多かった。由良町役場の手先でした。

他にも、たくさんの人が私を攻撃してきた。「お前、次の選挙に落ちるで」なんて言葉は聞き飽きるほど聞かされました。「私のことをブスだと事務所まで来て言いふらしたそうやないか」と田んぼで稲刈りをしているところにまで怒鳴ってきた人もいました。「ワシらは関係ないで。わっはっはっ!」と通りすがりにバカにして喜ぶ百姓のおっさんもいました。

H.24年の当初、何人かの環境運動家や他所の議員たちが私を訪ねて由良町の視察に来た時、「すっかり出来上がっているな」と被害地域の異常な空気に感心していました。空気が悪いのは、特異なピークを持った有害な低周波が繰り返し、1秒間隔ほどで襲ってくるからですが、それ以上にそこに住んでいる人々に独特の雰囲気が醸し出されていたからでした。人々は、サッと顔を背けて逃げるのです。

さすがその来訪者たちは全国の公害、反対運動を見てきただけに、すぐに地域社会の異変に気が付いたことでしょう。私にはすでに手のつけようがなかった。しょせん私一人が社会に向かって吠えている程度のことでした。汐見先生の物真似の、そのまた真似をしているだけでした。サポートしてくれたのは窪田泰さんくらいか。

それも汐見先生のご逝去とともになくなった。今、私の最近のページにはヨーロッパやアメリカの風力反対運動の写真をいくつもアップしています。Against windfarm、kein windparkと検索すれば出てきます。しかしほとんど大半は風力発電を賛美する風景写真や自然エネルギーの有効性の記事です。被害を訴える記事は隠されています。それを見つけるのも一苦労です。

日本でも同じことになっています。「風力発電、低周波被害」と検索すれば、被害を否定する欄であふれています。インターネットは新聞やテレビニュースと違って、誰でも思ったことを発信することができます。だから半面、こういった悪用にも利用されます。それだけ彼らが悪辣だということです。

風力事業は巨大な補助金ビジネスです。日本だけでも1年間に3兆円、4兆円といった計り知れない補助金が使われます。一方、被害者は何のサポートもありません。環境運動家たちによっても様々な弾圧と迫害を受けます。議員たちの笑いは、こういった人道に悖る目を覆いたくなる社会の現実でした。

衆愚、ポピュリズムとメディアは表現します。しょせん議員とは社会から出過ぎてはいけない。遅れてもいけない。少し踏み出す程度がちょうどよいと言われます。正邪は問われない。由良町議会は定員10人で、1対9の対立の中で、私は風力被害を訴えています。私は彼らの主張?に同調できるか。絶対にそんなアホなことはできません。なんせ被害者たちから直接泣いて頼まれたのです。

「この問題をよろしく頼む」と。そして死んでいった。議員冥利に尽きると思っています。許せないのは、被害があると分かっていながら被害者をなぶり殺しにして喜ぶ人たちでした。それを「風力発電自体には反対ではないでしょう?」と相変わらず繰り返す環境運動家たちが全国にたくさんいます。伊豆半島の風車被害がそのメッカでした。

野鳥の会や日弁連、グリーンピースなど、何が自然なのか分からないのです。「考える会」もね。彼らは異常なオカルト信者でした。もちろん由良町役場の人々も、被害者たちが必死になって訴えたのに冷酷な言葉で、マニュアル通りに弾圧して喜んでいる。偉ぶることが嬉しいのだ。とくに指摘されなくとも、とうに地域社会は崩壊している。衰退するしか道はなくなっている。私が一人、風力発電の低周波被害を止めてくれと訴えている。