自由に生きようぜい。自分で考える。

東北地方でも風力反対の風が吹いている。全国大会だと言っては、各地のエセ運動会や環境運動家が集まって、相変わらず受け売りの言葉が乱舞する。彼らが何を言っているのか、外部の人間にはさっぱり分からないだろう。添付の記事にも政治家に請願したとある。政治家はさ、カネと票しか興味はない。そんな役立たずに何を言っても無駄なことは水俣や福島を見たら分かるだろう。

現実にある風力被害に、いったい政治家は何と言っているのか。アホとしか言えんわな。だからこの記事は、ヘンテコな内容になってしまっている。抽象的な言葉が通り過ぎていく。被害者を助けようなんて思考はどこにもないのだよ。その根底には環境省が繰り返す被害の否定にある。低周波被害は、「ない」のだ。なんとバカバカしい政治ではないか。

海外でも同じトリックがあるから気が付く人もいるだろう。「OFFSHORE NOT ONSHORE」とか「1㎞離せ」とか、日本では「土砂崩れが心配、風車が心配」とかね。風力発電をまるでマスコットのように愛する人が地域にはいるんだから驚くよ。そんな人には風車病に苦しむ人なんかゴミでしかない。対立でしかないのだ。

その人には、本当に風力被害はないんだろうかね。低周波音被害者の会の窪田泰によると、全国を調べ歩いたけれど、まったく何も感じない人がいるらしい。全然、何も影響を受けていないということだった。これも風力発電の事実だよ。そんな人が現実にいる。被害者にとっては堪らんね。その人の暴力、暴言にどれだけ耐えられることか。私もやられているからね。

今朝の産経にはヒトラーとフロムの分析が書いてある。有名な話なので、私の世代なら、(いやいや、関心のある人だけかな)、知っている人はいるはずだ。私も学生時代に読んだ。この辺がPhilosophyとの出会いだった気がする。ちょうど梅原猛がベストセラーになっていた頃だ。「孤立感や無力感に苛まれて・・・」私もそう思っていた。

しかし違うな。由良町で風力発電の被害を訴えた時から、人々は、人に対する憎しみを求めていたのだ。NHKドキュメンタリーでも、ドイツ兵が笑いながらフランス人を虐殺している光景が映し出されている。今でもフランス人がドイツを極端に嫌う理由だよ。同じことが由良町で繰り返されるのを見てきた。「ワシらは面白うてならんのや」というのだ。

これまで普通に話してきた人が、大真面目に笑いながらそう言う。議会では、手を叩いて笑って踊って見せられた。それほど人が苦しみ、死んでいく様子が面白かったのだ。やがて地域の人にもそんな言動が広がっていく。恐ろしい現実だよ。人々は、何も考えないのではない。目の前の出来事に反応して笑っているのだ。

たまたま私には家柄があったので、私とは違うな、と底辺の人種を眺めていた。転落、というより、もともとがそんなものでしかなかったのだ。私のホームページは、由良町では誰も見ない。見てはならないし、見たとしても何のことか分からないのだ。彼らの頭にあるのは指示されたことだけ、であった。役場内でもな。それが全体主義というものなのか。誰も責任を取らない。

何が悪いのかも分からないのだ。まさに「寄らしむべし、知らしむべからず」よな。明治維新から150年経っても変わらなかった。よくも普通選挙なんかできたものだよ。有田川町の看板は、全国でここだけの快挙だ。真実を書いて訴えることの難しさよ。しかしな、すぐ近くの大窪地区などの風力被害に触れることはない。

私だけは助けてください、になっている。これってさ、アンネの日記に出てくる、ユダヤ人を売り渡していたのは結局、ユダヤ人だったということやで。ハンナアーレントもそう書いている。同じことを日本人が今やっている。恥を知れ。