人間同士の信頼と、極限の卑劣さと

これまで書いてきたように、各地の風力反対運動?がいかに偽物で、低周波音被害を否定するトリックになっているかを説明してきた。そんなことは初めから分かっていたし、私に彼らの卑劣な魂胆を伝える人も多々いたものさ。そう言いながら、彼らの全国大会などに参加して「土砂崩れが~」と一緒になって叫んでいる話を聞く。信念も何も、何でもいいんやね。

それが日本の環境運動になっていた。群集心理、というより烏合の衆だよ。前ページに書いたドイツやアメリカの環境運動、議論に見られるような真剣さはどこにも見当たらない。環境省の受け売りの言葉ばかりを繰り返す。オウムだよ。恥ずかしくないんやね。彼らは環境運動を楽しんでいたんだ。与えられたイベントを「土砂崩れ」、再エネ推進、と唱えるカルトに酔いしれる。

そこには被害者の入り込む余地はどこにもない。カネを貰える地権者や、政治家はいるだろうけどな。その見極めが、意外に簡単なことに呆れるのだ。日本だけ、「Stop wind turbines」の言葉がないでしょ。被害者がいて苦しんでいる。なんて言う集会やデモはないでしょ。「被害はない」そう言い続けて来たじゃないか。「市民風力に被害はない」とかさ。

御用学者を担いでお祭り騒ぎしていたじゃないか。風力被害を否定しておいて、何が風力反対だよ。ピエロを演じていたわけだ。まだ彼らのyoutube動画は残っているだろう。異様、気持ち悪いで。まるで「1984年ディストピア」の風景だよ。彼らの話を見ていて、人間が無内容だと思うのだ。環境省の受け売り言葉だから当たり前だけれど、主催者も参加者も、まるで雇われよな。

地球温暖化をどうするんだってか。それで風力発電を扇風機に見立てて冷ます、らしいのだ。一般人から見るとハードルは高いわな。しかし彼らは高揚感で一杯だ。「問題の大きさを取り違えてはならない」、とさ。恐ろしいことだよ。日本では、あの戦争の時には特攻と言って、爆弾を抱えて自爆攻撃を繰り返していた。6000人ほどの若者が殺されたと聞く。

今もさ、当時の少年飛行兵に聞くと、「ワシも命じられれば行く覚悟はできている」と答えている。洗脳、マインドコントロールの恐ろしさよ。靖国神社は必要な施設だとは思うけれど、この点だけはダメだね。特攻を命じた上官たちは戦後もノウノウと生きて笑っていた。戦時とはいえ、なかなか出来ることではない。狂気だと見ている。これと同じことが全国の風力運動会だ。

そして由良町で行われた風力被害者に対する弾圧だ。被害者たちはボロクソに叩きのめされて死んでいった。泣いていたよ。議員たちは手を叩いて笑って喜んだけどな。この対比を見たのだ。痛ましい、としか言えないではないか。人の精神が、こうまで冷血、残酷になれるものなのか。集団心理だけで済ませられるものではあるまい。私は自分に正直でいたかったのだ。

議員職などにこだわりはない。どれだけ罵られようと、これだけは守りたかった。さて今朝の産経には野沢菜漬けの記事があった。40年ほど前、初めてスキーに行った時、その美味しさに感動したよ。ゲストハウスでアルバイトした時にも、当時あった二級酒と、その当てが野沢菜漬けだった。あんなにうまい酒はその後飲んだことがない。青春の一ページだ。私にも幸せな時間があった。

長野県のような山国では、風力発電なんか建てたらエライことになるだろう。だからなんだかんだ言って風車は立てないだろう。議論好きな県民性があるしな。添付資料はイスラエルの風力反対デモだ。イスラエルの風力反対は有名で、ちょくちょくニュースに出てくる。政治が絡むから難しいけどな。古代に、この地域で低周波装置を作って戦争に利用したと聞く。

10年前の当初、低周波音の有害なことを説明しようとしていた時に、よくアップされていた。見た人もいるだろう。歴史書の好きな地域だから、人々は敏感なのだ。日本人はなぜ、こんなにも無内容になってしまったんだろう。ウクライナの戦争を見て、いかに再エネと称する風力や太陽パネルが役に立たないことを見たはずなのにさ。ドイツのウソも見ただろう。

それよりも被害者を弾圧して笑いものにする、そんな運動会が許せない。私一人なんかい。もし、10年前に戻って、今の結果を知っていたとするなら、それでも私は同じように、風力発電を撤去してくれ。たくさんの被害者が苦しんでいると訴えただろう。信念は曲げない。これが私の生き方だ。