煽ることよ。

戦争は世界中で起きているから特に驚くことではないけれど、日本の一般新聞に、こんな記事が連載していたら、やはりヘンだと思う。日本はスパイ天国だから、76年前のあの戦争の様に簡単に踊らされるのだ。島国根性というのか、人々に国際感覚はない。

サラリーマンの頃、海外出張で数年外国に滞在した人と話してみると、まるで宇宙人やな、と奇妙に思ったものだよ。30年間、中国にいた人なんかさ、ほとんど中国人やな、とその動作を見て思ったよ。愛人を4人囲って優雅に暮らした話を聞いても、それがどうしたとしか思わなかった。

会社の仕事を無難にこなしていたんだからそれでいいけどさ。日本人は簡単に変化する。海外事業でそう見る人は多いだろう。私はついに海外に出されることはなかった。現地からの抗議の声を聴いていたから複雑な思いが残っている。「ダムを造らないでくれ。ジャングルには人々が暮らしている」とかさ。

そんなODA、JICAの現実をネタにした本も出版されている。添付の広告記事の時代と何も変わってはいないのか。今更戦争の話がぶり返される。「究極のリアル」なんて書かれると図上演習じゃないか。勝つとか、負けるとか、ゲームじゃないんだよ。ウクライナの戦争があるから胸にグッとくるものがあるわな。

私は同時に日本社会の破壊を見ている。由良町での風力発電による社会統制だ。風力ファシズム、社会支配、人々は簡単に少数の被害者を虐待して殺して喜んでいた。行政、議員、警察、地域の有力者たち、すべての人が被害者を否定して「被害はない」として怒りの感情を露わにして叫んでいたのだ。

町内のクリニックでも、御坊市の耳鼻科でもそう叫ばれたものよ。「それは受け付けない」と。たくさんの被害者の受診があって睡眠薬などの薬を処方したくせに。彼らには良心の欠片もなかった。全体主義、思想統一されていた。今も頑なに現実は閉ざされてる。『ソクラテスの弁明』に出てくる暗い洞穴にいる人々みたいだよ。

人々はわずかな篝火による影絵でしか情報はない。日本のテレビや新聞には、風力発電の被害が載ることは絶対にない。コマーシャルは紙面一杯に記載されるのにね。プロパガンダ一色ょ。誰も被害を訴えるものがない。汐見文隆医師が2016年に亡くなって、すっかり低周波音被害は無視されることになっていた。

とうとう私だけだよ。海外では普通に「Stop wind turbines !」と言って、何が悪いのかを言葉にしているのにさ。日本人にはそれが分からないし、知ろうともしない。前記の海外に赴任した人のように、何言ってるんだろうこの人は、みたいなものよ。日本人て、ホントにアホやね。そのアホのままでいることが安心感、平和だと実感するんだろうね。

風力発電が建設される地域は厳しい支配管理にある。誰も逆らえないようなのだ。逆に、体制側になって、優越感に浸って笑う人々がいる。奇妙奇天烈な現象だ。最初は低周波被害を訴えていた人が、手のひらを反すようにして「それは分からないことや」と笑っている。その程度の事だったのだ。

でもガンになったり、脳梗塞でヘンになる人を周囲で見ているから、そうかもしれないな、と内心は思っているんだろうか。世渡り上手だから「沈黙は金」とほくそ笑んで死んでいく。母親から言われたことに「あの人には気を付けるんやで」というとおりになっている。人間、長く生きると分かるものがあるらしい。

アホな息子のために、たくさんな遺言を残してくれたものよ。おかげで二番煎じとして、それらの人の話を聞くことができた。親が見抜いていた通りやな、と。しかし問題はそんなことより被害を訴える正義漢が一人もいない。今では日本で私一人だけというお寒い状態だ。日本人よ、いったいどうしたんだい。孤高、孤立無援、ボッチ。

この自由な世界観よ。私の一人舞台やないか。今では各地のエセ運動会では、「再エネと自然の両立」だという。そこには被害に苦しむ人の存在はどこにもない。環境原理主義。再エネの一層の推進。初めから分かっていたけど、地域対策、トリックでしかなかったんやで。そのことを私は書き続けてきた。エセだよ。ニセモノだよ。と。

戦争になったら、簡単に終わってしまうだろう。日本人の精神は、こんなに無色透明に無力化されていたのだ。テレビでやっている政治家を見れば分かるわな。分断じゃない。思想統一だ。社会が破壊されていることに気が付いてほしい。日本だけ、特殊な地域にされている。人を弾圧して殺して喜んでいる。

世界的には、とてもアホにされるんやで。対等に話ができないんやで。それが水俣病の教訓だよ。現在進行形だ。人権とは何か、思い出してみないか。