コオロギを食べたいか。

産経新聞には、これまで何度となく「昆虫ビジネス」と題した記事が続いてきた。その都度でもないが、これも私のヘンコから、「いやだ」と言い続けてきたものよ。今回の記事にはイナゴの佃煮とハッキリ書いている。一緒にしてもらっては困るで。ミソもクソも一緒くたよな。意味が違うと思わないか。

家畜の飼料用、そして人類の食糧にも、という趣旨らしい。眉に唾塗って、見極めないとな。なんせこれまでコオロギなんか食べてこなかったでしょ。それを消化する酵素とか、腸内細菌とか、人体に影響があるのではないか。もしそんなものが食べられるのであれば、これまでの食文化の中で、とっくに食べているハズさ。

昔は貧しかったでしょ。それでもそこらの虫を取って食べて来たか。そんな話は聞いたことがないし、百姓の文化にもなかったではないか。たしかにゲテモノ食い、と言って、トカゲのしっぽやネズミの尻尾を焼いて食べた話があった。しかしそれは冗談で肝試しに目立ちたかっただけだろう。

小説家の黒岩重吾が若いころ、それをやって大変な体調不良になって苦しんだと書いてあった。全身のマヒに襲われたんだとか。それがキッカケで小説を書くことになったと読んだ。とてもマネをしようとは思えない。ハチの幼虫はどうだろう。これも特殊な例だね。

昔、母に聞いた話では、カミキリムシの幼虫をほじくり出しては炭火で焙って食べたという。ミルキーな甘さが美味しかったという。しかし我家の歴史にそんな話はない。せいぜいがマムシの肝を啜って食べた程度だ。これも今やる人はいないだろう。ではなんで産経はビジネスとしてコオロギの宣伝を繰り返すのか。

再エネと原発の宣伝新聞だから、今さら何を触れ回っても不思議な感じはしないけど、やはりカネになるんだろうね。「昆虫食の世界市場」とある。私は御免だね。これだけ米の値段が下がって、せっかく作った米の販売に困っている。小麦が不足して食糧危機だという。米の文化を築いてきた日本社会でだよ。

なんかバランスが悪い。耕作放棄地があちこちにできて、草ぼうぼうの風景が広がっている。昔は一年中何か作物を作っていたものなのに。春先になると豆の白い花が一面に覆い尽くしていたものを。だから食糧難だと書いても、何かおかしいのだ。食料が必要なら百姓すればよいでしょ。採算が合わないか。

経済社会だからね。グローバル社会の中では、海外の安い食料にやられてしまう。タンパク質と言っても、ブラジルの大豆に敵わないからね。誰も日本では大豆を作らない。ビールの当てにするあの枝豆だよ。それさえも中国から輸入するという。日本人のアホさを見ないか。

おバカな日本人は金儲けのダシにされて滅んでしまうしかないのか。三島由紀夫がそう言っていたよな。私は今もお茶の新芽を摘み、番茶を楽しんでいる。野菜作りや、これからの晩秋の山芋掘りが大好きだ。日本人はこうして生活してきたのではなかったのか。海外から輸入したコオロギの粉末が美味しいのか。

勘違い、というより、これも詐欺みたいなもんやね。ロボット化され、家畜化された日本人の姿を見る。アッ、そうか、だから家畜用の資料だと最初に書いてあったんや。日本人も舐められたものよ。かつてのグルメさんは、この程度のものだったのだ。批判精神がない。

風力被害地のように、誰も批判できないし、批判する感覚がそもそもなくなっていた。被害があっても抗議一つできないでいる。私は違うからね。ちゃんと人間として生きていくつもりだ。最近、朝夕に、ずいぶんと涼しくなったよな。もう秋やで。