汐見先生の冊子

汐見文隆医師は各地の被害者を訪ねてはその原因と対応を地域に求めました。これらの冊子は大量に印刷されて被害地域に配布されました。ところがそれらの地域では感情的に拒否して誰も受け入れなかった。私の住む由良町でも、h19年にわざわざ講演までしてくれたのに、ボロクソの拒否だよ。

「共産党やろ!」とか「もう風力だろうが何だろうが関係ない」と、人々はお断りの言葉を連発した。どうしたんだろうね。なかには学歴のある人もいたというのに、理解と言うのか、危機意識の片鱗もない。何がこうまでして汐見先生を嫌い、そして汚い言葉で拒否したのか。

実は私はそれを見ているので、私に対する弾圧の嵐を二番煎じとして受け流す?ことができたのだ。低周波音被害者の会の窪田泰さんに対する悪口もすごかったからね。被害を訴えると、こうなるんやと思ったよ。同時に、あたかも被害者を心配して助けるような「考える会」を作って被害者を閉じ込める。

外部から、野鳥の会のような環境運動家が来て、風力発電の被害を否定する。風車病に苦しむ被害者に奇妙な恐怖を植え付ける。アホにしまくりよ。ある県議は「営業妨害で企業から訴えられるんやで」と告げに来た、と聞く。恐喝だったよ、と谷口さんは言ってきた。

たくさんのスパイ工作員に取り囲まれながら、最後まで苛めかれていたものよ。この冊子に出てくる被害者とも話した。皆さん同じ怒りを持って叫んでいたよ。さすがに被害者だけあってヒステリックになっていた。風力被害者はさ、お互いに分かるんだよ。ウソは付けない。

ここまで貶められるんや、と思った。その周囲の人たちもな。仕組まれた罠であった。被害者はみな消されたでしょ。家族の人や、付き合いのある人は知っているはずなのに。誰もさ、被害者を助けるために、なんて考えはなかったのだ。この辺に汐見先生の限界があった。

窪田さんも最後は「どうでもいいじゃん」と言っていた。私は今、風力被害で苦しんでいるからね。どうでもいいわけないだろう。いつものように口論していたものよ。他の被害者たちは一般に孤立して精神を破壊されていた。私も一人で頑張っているけれど、いろんな人が支えてくれたかな。

有難いことだと思っている。誰もさ、抗議できないなら私一人でやる。そう思うしかないわな。任重くして道遠し。その道を明らかにして其の功を計らず。古びたカビの生えた言葉が口に出る。亦重からずや。亦遠からずや。各地にはまだ汐見先生の冊子が残っているだろう。

少しは先生の爪の垢でも煎じて飲め。ここに風力発電の被害に反対する原点がある。それを「我々は土砂崩れなんや」という狂人たちよ。恥を知れ。御用学者のなんという哀れな姿よ。こうはなりたくはないわな。人間社会には常に悪が纏いつく。何が悪いのか、常に問題意識を持つ必要があるだろう。

行政や政治はロボットなのか。何が風力発電を必要としているんだろう。日本だけ、「風力発電を止めろ」という言葉がない。被害者を笑いものにして喜んでいる。人権意識はどこにもない。この過ちを、社会操作を、何とか断ち切りたい。思いやりのある、正直な世間に戻したい。

今では素朴な冊子になっているが、コロンブスの卵なんやで。どれだけ先見の明があったことか。それだけでも知ってもらいたいのだ。