こんな所に住みたいか

この光景を見たら、もはや自然エネルギーだの脱炭素などのスローガンがいかに空しい幻想であるか分かるだろう。そして自称、反対運動の人々が言う「土砂崩れが心配です」という意味も、その目的が明らかに見えるでしょう。エセなんだよ。たとえこれで電気を得たとしても、それがいったい何になる、と思わないか。自然に優しいだの、持続可能、サステナブルだの、まったく意味がないわな。

たぶん、たくさんの低周波音被害者がいる。逃げ出した人や、既に病気になって苦しむ人、亡くなった人もいるに違いない。由良町で見ているからさ。「風力被害など聞いたこともない」と言っている。ウソつけ。被害者に対する弾圧が、どれほど激しいものなのか、各地の被害者に聞いて見ろや。現実には今、全国で私一人が風力発電の低周波音被害を訴えている。

海外では、ヨーロッパでもアメリカでも、どこでも激しい抗議運動が引き起こされている。キーワードを入れて検索して見れば良い。「Stop wind turbines !」とかね。日本だけ、その言葉がない。地域対策の成果よな。しかしそれだけではない。なぜ誰もこの被害を訴えることができないのか、それが問題だと考える人もいると私は信じている。添付した記事には、被害者の声はない。

これはイカンでしょ、というだけだ。それでもこんな記事が公開されるのは、限界に来ているからだ。この地域はこれから海岸部が風力発電で覆われるという。環境破壊なんて生易しいものではない。狂気が溢れている。何が地球温暖化だよ。CO₂だよ。電気の需要だよ。人が住めない世界にしておいて、持続可能もクソもないわな。政治の悪さはどうだ。何のための政治家なのかと、不思議に思わないか。

私は選挙で総スカンを食ったから、人々が何を嫌い、何を求めていたのかを見た。とてもそれは人間の言うことではなかったと思っている。人は、それほど簡単に転落していたのだ。ディストピア。ここに住む人は、この状態が嬉しいし満足していることを理解している。被害者が苦しみながら死ぬと、やはり笑って喜んでいることだろう。家族のものでさえそうなんだから、どの地域であってもこの惨劇は喜びとしか思えない。

自治会費の1万円がタダになるとかね。それが自慢でならないのだ。世帯数を掛け合わせると、数百万円、数千万円の協力金が得られるとかね。良かったじゃないか。ただ、風力発電は税金でやっている。金儲けのダシなんだよ。たぶん発電の役には立たないだろう。演出、デモンストレーションよ。だから環境省の報告書には、最初から観光資源になると書いてある。この記事も、その目的に沿っている。

みんなで風力発電を見に行きましょうと。汐見先生や小林先生なら、低周波音測定器を持って、測ってみたらどんなにひどい環境になっているか分かるだろう。共振、相乗効果、さらに音圧が上乗せされる。中にはさ、音波と音波がぶつかって、相殺される、とか言う人がいたりする。そんなことあるはずがない。まず測ってみろ。いやいや、計ったらアカンのやった。

水俣でも福島でもそれは同じで、何が悪いのか測ったらあかんのや。そうなると、もう人とは言えんわ。家畜。動物並みの扱いだよ。だって人としての価値が分からないんだからしょうがない。アホにされるわな。低周波音被害者の会の窪田さんも、放っとくしかしょうがないと言っていた。都会では、エネファームなどの近隣の低周波音被害が増えているという。風力発電の低周波音被害とは、分けて考えるべきか、ずいぶんと話したものよ。

由良町でもそうだけれど、やはり別の次元にまでなっている。人間が動物化されている。もう元には戻らないのだ。よかったら、誰か反対運動を起こさないか。彼らエセ運動会は、最初から仕組まれた罠だ。被害があるからその対策としてやっている。産廃のニセ反対運動と仕組みは同じだ。ここまで破壊された日本社会に、立ち向かおうではないか。

海岸の自然と景観を破壊する巨大風車群