SDGs、って何?

サステナビリティ、持続可能な、とかさ、なんだか観念的な掴みどころのない言葉が流行っている。その時々で自由に暴れまわるから正体の悪いことよな。前ページに書いた渡辺正さんの本を見ると、真逆であることに戸惑い、何が本当なんやと混乱するやないか。

私は風力発電の被害を見ているから、その根源にある悪の原理主義が国連発のこんな言葉なんだろうと考えている。なんせこの記事の言葉の激しさを見て見ろよ。広告記事だと分かっていながら、ビジネス、そのものではないか。気候変動、自然災害、これからドンドンひどくなっていくとな。

私は専業農家をしているから天気や気候の変化にはいつも注意して見ている。雨が降れば消毒ができないし、毎日晴れなら肥料が効かない。段々畑の蜜柑畑だから大雨にはめっぽう弱い。それでもここに生まれ育って64年、過去最高の生産量と売り上げを伸ばしている。食味もよくなったし、市場の人気もよい。

私や親父の努力だけではない。気候がよくなったのだ。子供の時のような大きな台風に襲われることもない。昔の台風はすごかったからね。渡辺正さんもそのことを指摘している。昔の大雨なんてさ、そりゃぁ由良谷が、全体が川になって、何もかも流し去っていたものよ。写真になって残っているからね。

有田川や日高川でもそうだったでしょ。有吉佐和子の小説『有田川』、『日高川』にはそのことを書いているやないか。だからこの記事はウソやなと分かるのだよ。池田清彦も同じ否定の話を本にして書いていた。『SDGsの大嘘』と。以前に紹介したとおりだ。この雑誌には以前、投稿させてほしいと原稿を送ったことがあった。

ケンモホロロに拒否されたよ。安岡正篤の人間学だと言いながら、中身はすっかり軽薄なビジネス書になっていた。カネ出してまで読むのはもったいないと思っている。昭和の碩学とまで言われた安岡正篤だが、そろそろ卒業やなと感じている。初めから知人に「それ宗教みたいなものやで」と注意されていた。

知っていたよ。終戦の詔の草案、その話もなんだかなぁ、嫌な愚痴に聞こえるのは私だけではあるまい。私も年取ったのか成長したのか、見えるものが出来ていた。その時はむさぼり読んだのだから懐かしい。いたづらに啾々たらんや、ということか。日本の学校ではさ、Philosophy (哲学?というか)を習わないよな。

私は和辻哲郎の『風土』を教科書にした哲学という講座を受講して50点という落第点を貰った。同級では私だけだったらしくて担任の早川典生先生に笑われたよ。その時の恨みが40年経った今も疼いている。当時は梅原猛の法隆寺論が流行っていて、梅原哲学とか言っていた。今はそんなもの誰も読まないだろう。

流行り廃りの典型よ。こんな記事に大企業が群がっている。今の日本の姿が垣間見える瞬間だ。風力発電、って何なんだ? 日本では誰も答えない。ディストピア。ペテンだよ。