風力発電の低周波被害はどこへ行った?

10年前は、風力発電の協定書には低周波被害のことが明記されていた。約束が守られることはなかったけれど、被害者たちはこの文書に縋り付いて、「最初から分かっていたやないか」と泣いていた。役場は、「あんただけだよ」というし、県は「被害の基準がない」と笑いものにする。

警察や検察庁は、「法律がないんだよ」と弾圧の言葉を露わにした。こんなやられっぱなしの被害もないわな。それも最初から関わってきた環境運動家たちは「薬を飲め」だの「引っ越せ」など、オチョクリの言葉で傷心に粗塩を刷り込んで笑いものにする。「何が問題なのか考えよう」なんてさ、もう勘弁してくれと悲鳴を上げるわ。

それほど被害者に対する弾圧は、初めから仕組まれていたのだ。全国の被害地はボロボロにされていた。各地の自称、反対運動の人と話しているうちに、h19年の伊豆や伊方の風力被害のすさまじさを見て知っている人がかなりいた。畑地区の谷口愛子さんらも視察に出かけていた。かなり怪しい目的があったようだけど。

つまりh24年の時点では、すでに被害の視察はとんでもないカーブを描いていた。真面目に調査に入った汐見文隆医師や窪田泰さんはコテンパンにされて追放よ。とうとう最後までモノ言うことはできなくされていた。窪田さんからは「奴らは嘘つきばかりだ。もう関わりたくない。近寄らない」と何度も聞かされたものよ。

私も畑地区で経験しているからよく分かる。風力発電の被害地は、どこでもこんなになるんやね。東北では盛大な風力反対運動があったと聞く。しかしそこには低周波被害、風車病の言葉はない。土砂崩れや、自然を守ろう、とか言う抽象的な環境論で埋め尽くされている。

とうにたくさんの風力被害者がいて苦しんでいるだろうに、誰一人として「被害者を助けろ」なんて人がいないのだ。これが海外の風力反対運動との決定的な違いだね。なんでだかはもう明白だろう。日本の反対デモは、被害否定のトリックなのだ。「土砂崩れ」なんかどこにあるんだ。道路が崩れたら直すんだろう。

自然を守れ、風景を壊すな、と言ったって、彼らは環境運動だから地球を守るんだろ。そこにはグレタさんと同じ地球温暖化や気候変動、脱炭素の思想でいっぱいだ。「問題の大きさを間違えてはならない」となる。そこには天の声に従って、言われた言葉をオウムのように繰り返すカルト信者の群れを見る。どこにでも暇な環境団体があるんや。

私はこれまで環境運動というと、自然環境を守りましょうと主張する心優しい人たちの集まりだと思っていた。ところが今の環境運動を見ると風力被害者を弾圧して消し去る喜びに沸いている。優越感、支配意識、環境運動してます、という高揚感みたいなものか。風力のコマでしかないのに。犬か猫の糞だね。

日本の自称、風力反対デモの何が悪いのか、見破ろう。これまでは御用学者や御用運動家が講師になって、直接の風力被害を否定してきた。こんなアホらしい勉強会でもたくさんの会員が集まるんだから、日本人の意識の低さよな。今は世界的にも「反対」と言いながら、被害のあることを言いながら、「ルールを守ってエネルギー転換を」なんて抽象論にまで進化している。

少し関心のあるものなら、被害を無くすために議論をして具体化するんだろうか、と錯覚してしまう。なんのことはない。10年前と全く同じだよ。一歩進んで二歩下がる。時間稼ぎと問題のごまかしだ。「風車の高さの10倍離せ」、10Hルールなんかその典型だ。ちょうど低周波被害が明らかになるど真ん中だよ。

音源が大きいから、特殊な音の場ができると考えられる。専門的な知識や経験が必要だ。あのエセ反対運動の人たちは、被害地での知識も経験もなく、自信たっぷりに反対だの賛成だの喚くからね。いかに風力の仕掛けか分かるだろう。インターネットで海外の風力反対デモを見てみよう。

日本の風力運動が、いかに我々日本人を騙して利用しているか分かるで。具体的にはカネ儲けに収斂している。日本の商社や、建設会社が外国で荒らしまわっている。日本人は、何が悪いのかをはっきりと見極める必要がある。

「Stop wind turbines」、「Protest wind farm」「Kein windpark」、思いついたキーワードを入れて検索して見よう。ドイツ語でもフランス語でも、スペイン、ポルトガル語でも、世界中で風力発電の被害に怒って抗議しているで。我々も、自分で情報を鷲掴みにして理解しようぜい。