メディアの偏り。

テレビや新聞では盛んに銃撃だと言っているけれど、宗教組織の看板になっていたんやね。こんな実態は見せてはならないんやろう。この組織は、霊感商法で派手な荒稼ぎをしていたと聞く。ズブズブの関係だったんや。宗教組織の人は、とくに選挙に熱心だ。

私から見て、その候補者は悪党としか見えないのに、まるで善意の人みたいに宣伝して推薦の言葉を告げに来る。その信者の人まで疑ってしまう。こんな悪人になぜなんやろうと、さ。私も選挙をしたから熾烈な票の奪い合いはよく分かる。懲りずに4回も挑戦したものよ。若かったんやろう。今はそのアホらしさがよく分かる。

行政や政治的な圧力があったとはいえ、誰もが私の言葉を拒否していた。集団ヒステリー、集団催眠術かと思ったよ。風力被害を訴えていたつもりが、総スカンであった。何も分からず、でもない、分かっていながら死んでいった被害者のことを見ているから、「やるだけはやった」と思っている。谷口愛子さんを含め、被害者はすべて私を憎んでいた。

どれだけ汚い言葉で罵られたことか。被害者はまだよい。被害感覚のない一般のものから罵られると、それはもう堪えたものよ。私もただの人間だからね。敢えて抵抗はしなかった。それらの人は、被害者が死んでいくのを見て笑って喜んでいたのだ。「関係ない」と。何がそんなに面白いんだろう、と今も私は疑問に思っている。

風力被害は誰に当たるか分からない。被害感覚がなくともガンや脳梗塞になる。性格が変わっていく。もしかしたらご自分も被害にあうか分からない。そんな状態にいながら、なんで笑っているのか、それがどうしても分からない。「土砂崩れが心配なんだ」と反対運動の人は言う。違うだろう。

健康被害があるからこそ、恐怖なのだと、いや、私にはもう彼らの正体が分かっている。風力事業の手先となった工作員なのだ。利権を求めているのだ。地域のリーダーとして、「土砂災害」を言葉にすることで、得るものがある。この仕組みは全国同じものだ。海外の反対運動では、こんな言葉は見ないから、日本独特なトリックなんだろう。

「考える会」と同じ魔法の言葉だ。何を考えるんだろうか。被害があるから「止めろ」としか言えないはずなのに。元首相の暗殺を経ても、日本は何も変わらない。新聞やテレビ、ってホントに悪いね。NHKの悪さはこれまで書いてきたとおりだ。人民日報を笑えない。よっぽど、眉に唾つけて見なければ。

今回の参院選挙では小さな政党が乱立した。それらは言葉も軽く、浮雲の様であった。しかしそれらは必要な社会現象だった。もしN党ゃ参政党などがなかったら、真っ暗になっていたはずだ。本物の政治家が出てくることを願っている。自公政治はもう止めよう。新しい日本作りを目指そうやないか。