笑えない惨劇

大雨や大雪が降って、仕事にならない時、百姓はよく「笑うしかないな」と言って笑っている。元々が自然相手の職業だから、天気の事だけはどうしようもない。台風の時だって、ジッとしている他ないのだ。ところが風力発電の被害は人災だから、あらかじめどんな事件になるかが分かっている。

その例は日本にすでに多々繰り返しているし、海外にもたくさんの被害例と抗議デモが起こされている。低周波被害、健康との因果関係、経済性、社会性、すべて明らかになっている。しかし日本では被害調査は行わない。これは水俣や福島でも調査しないから、日本独自の被害隠ぺい、そして被害の否定テクニックだ。

心無い人たちによるバッシングがある。上からの指示もあるだろうが、嬉々として被害者を罵る光景は、心理コントロールされた社会管理そのものだ。『自由からの逃走』を書いたEフロムがその仕組みを明らかにしている。権力を背景にして、自己実現して喜んでいると言うのだ。殺されたユダヤ人は堪らない。

一方、ナチスの党員に罪の意識はない。ロボットのようになって幸福感に浸るのだ。被害者の方もすっかり人間性を失って動物になるらしい。今日の産経記事には洋上風力が賑やかに書かれている。とくに東北だけじゃないけれど、「土砂崩れが心配だ」というスローガンはここでも生かされている。

海のなかなら、「海底の砂が心配だ」と言われている。どこにも低周波音被害の言葉はない。先日の参院選では、政治スローガンとして「低周波被害の否定」が宣言された。風力被害地では、何が被害の原因であるのか十分に分かっているはずなのに、誰も抗議の言葉を持たなかった。言っても無駄なんだろうか。

関りになったらマズイんだろうか。世の中には、いくら何でもそれはアカンやろ、という禁じ手がある。谷口愛子さんが被害を訴えて亡くなった時、人々は手を叩いて笑って喜んだ。普通に考えてこんなことが許されてよいはずはないわな。あるいは、環境省の調査報告書には、風力発電の低周波被害を訴えるものは精神疾患のものだと書いてある。

そして毎年のように低周波音被害の否定が延々と書き連ねてある。シャドウフリッカーの対策はカーテンを閉め切り、光が室内に入らないように、漏れないようにきちんと閉めておけ、とか。植木や樹木を植えて陰になるようにしろ、とか。国の方針として被害者を弾圧することが書き連ねてある。行政も政治も、嵩にかかって攻めたてる。

「被害はない」と。すごいじゃないか。全体主義、恐怖政治もここまで来るとユーモアとか、冗談の一つも思いつかない。いや、逆に、恐ろしく面白いと関係者は思い込んでいるだろう。殺された被害者は大変だよ。風力発電の低周波音被害には、様々な症状があることが分かっている。

精神の破壊、性格の変化、脳梗塞なんかになると途端に変わってしまう。アレレ、もうアカンのや、と。人々はそれを見て、もともと可笑しかったんや、と笑い飛ばしている。他人の不幸がそれほど面白いのだ。ご自分もその一員でしかないのに。「ヒツジにされるんやで」、h24年の当初、各地の被害状況を見てきたジャーナリストたちはそう言っていた。

私はその後の由良町が、どんな有様になっていったのかを書き続けた。今はもう誰も私の話をまともに聞く人はいない。こういうのをカタストロフィ、破局と言うんだろう。御用学者の被害否定の論文を添付した。これまで何度もアップして説明したものよ。風力被害地では、そして計画地では、誰も内容を理解する人はいなかった。

むしろ心配してくれている大切な専門家だと信じていた。私はアホらしくなってしょうがなかったよ。世の中には笑えない悲劇がある。風力発電の被害は、日本を壊滅するほどにダメージを与えてきた。原発の被害よりまだ悪いで。理解できないなら既に家畜化されている。奴隷ともいう。