世界の現実

世界では原油を増産するそうだ。テレビでもやっていたから本当のことだろう。脱炭素、カーボンフリーではなかったのか。地球温暖化対策の話はどこにもない。ここには、日本の出る幕はない。世界情勢とは隔絶した、特殊な消費国、ビジネスカプセルみたいなものか。三島由紀夫もそんな表現をしていたものよ。

50年ほど前、香港やシンガポールがそんな感じだった。子供心にも異国情緒と共に華やかさを夢見たものよ。あれから世界経済が発展して、日本が一つの地域として、金儲けのためのニュートラルな、無色透明なイメージに固定されている。香港→台湾→沖縄→日本、こんな図式はごめんだね。

歴史上、日本だけは植民地にされなかった。偶然や錯覚もあっただろうが、ずいぶんと頑張って来たんだと思いたい。歴史の教科書では、戦国時代に宣教師たちを虐殺してまでキリスト教を撃退した。キリシタン大名は消された。日本支配の芽は摘まれたのだ。

それに対して、今、グレタさんのキャンペーンは簡単に日本人の心を鷲掴みにして、日本各地にメガソーラー、風力発電が建設されている。直接に被害にあう人がいるのに弾圧して喜んでいる。精神の破壊とは、こんなにも効果のあることなのかと驚かないか。

自然保護団体が、環境省が、国が、山々の樹木を剥ぎ取って、太陽パネルを敷き詰めていく。地球を守るのだと言う。カルト、邪教、宗教の世界だよ。昔の「赤影」に出てくる金目教みたいなものよ。怪獣が出てきて、泡を吹いて暴れまくる。私には、今の現実と同じだと思えるのだ。

それに対して反対運動は、「土砂崩れが心配です」という。セリフも決められているのだ。人としての尊厳はない。ロボットのようにプログラムされた人々が集まって、同じ言葉を同じ順序で繰り返す。これが日本の環境運動の実態だ。

もう13年も前、東伊豆町や南伊豆町で、風力発電の被害にあって苦しんだ時、人々は抗議運動を真剣にやっていたじゃないか。すぐに潰されてしまって、真逆の「私たちは風力発電には反対ではありません」ということになる。それを環境運動家は勝ち誇って喜んだ。行政、町役場もな。それが全国に広がっていく。

由良町の被害を見よ。惨憺たる結果よ。風力発電を建設して、何かいいことがあったか?地球が救われたのか。地元が潤ったのか。誰が儲けたんだろうか。今日の産経記事を見ると、その理由が見えてくる。植民地だよ。まず人々の精神が破壊されていた。家畜化、奴隷にされていたのだ。言論の統制。

と言っても人々には何のことか分からない。たくさんのタブー、忖度が既に浸みこんでいる。ちょっとした雨や台風に、「厳重に警戒してください」と危機感を煽る。「温暖化により、益々災害が酷くなる」、なんて言葉が繰り返される。土砂災害に注意してくださいと煽る。風力反対の「土砂崩れが~」とダブる。

メガソーラーも同じやで。仕組まれたワナ、なのに気が付いている人はいるのに、誰も声にして抗議することはない。完全に征服されているのか。いや、秀吉や家康がしたように、邪教は禁止にしよう。磔や火あぶりなど、過酷な弾圧までして禁止したやないか。なぜなのか。その理由が植民地化の防止だったのだ。

日本人はイデオロギーに弱いからね。弱点を浚われたと言うことだ。風力発電に抗議しよう。山々を覆い尽くすメガソーラーには、まじめに反対しよう。何が悪いのか、何が間違っているのか、日本人として考えてみようやないか。