善悪の判断

風力発電の低周波音被害を訴えていて、何が悪くて、何が間違っているのか、由良町で直接に倫理の崩壊を目の当たりにして、このページを書き続けている。今日の産経記事を見ていて、これなら私にも分かりやすいなと思った。我家は源氏系だと言われている。ウソか本当かは別にして合戦の度に駆り出されていたと聞く。いや、かなり意識的に参加していたようだ。

楠正成の子孫とはその後も同じ物語を共有している。負け戦の割には、その歴史を誇りにしてやって来たのだ。倫理、道徳観念は、このようにして伝えられてきた、と理解している。結構古い人間でしょ。もう年だからね。百姓仕事が身に堪える。「禁じ手」それは社会で上手くやっていくためには絶対に必要な決め事だ。

戦争であっても、という理想が宙に舞う。ウクライナの戦争ニュースを見ていて、それがいかに絵に描いた餅でしかないことが分かる。誰も責任を取ることはない。殺した方も、殺された方も、互いに了解済みのこととして時間が過ぎていく。戦争裁判など、何の話をしているのかと違和感さえ覚えないだろうか。国際政治、陰謀論、金儲け、これからたくさんな歴史書が出版されることだろう。

あの太平洋戦争だって、いまだに新しい解釈が毎年のように出されている。それほどにウソ、企みの蓄積があったと言うことだ。それらの本を見ていて共通するのは、日本人の何たる単純さよ。12歳の少年の様だ、とはよく言ったものよ。日本にインテリジェンスはなかったのか、と叫びたくなる。今の日本社会を見ていても、人間が入れ替わったわけじゃない。

子や孫が、ひ孫たちが同じ判断基準で日本にあふれている。勉強ができて、大学を出て、社会で成功している人はいくらでもいるはずなのに、基本は全く同じなのだ。遺伝子と環境。当たり前のことか。それでも日本人には単純な正義感があるはずだと思いたい。日本の歴史物語なんて、大体がそんな内容でできている。善悪がはっきりと示されるのだ。

最近までテレビでは水戸黄門や遠山の金さんの時代劇が普通だったでしょ。勧善懲悪だよ。ヨーロッパの物語とはここが違う。日本人は理想を持っていた。「サロメ」とは違うのだ。日本人、ってさ、ホントにイデオロギーに弱いね。べつに新しくもない思想、考えに、上から言われると簡単に支配されてしまう。日本に、フィロゾフィー、Philosophyが定着しなかったはずだよ。

哲学なんて言ってさ、カントやサルトルの研究ばかりしてさ、ニーチェが面白い、と言ったりしたものよ。不通に善悪を考えてみる、と言ったことが無くなっていた。オレオレ詐欺が流行るはずだよ。カネが溢れる時代だからだろうか。スーパーに買い物に行っても品物が溢れている。最近、もう長らく乞食を見たことがない。ヤクザでさえ幸せそうに暮らしている。

その歪が風力発電の被害なんだろう。もう誰も谷口さんらの訴えを言葉にするものはいない。いったいいつのこと言っているんや、と。自公が大勝して、低周波音被害は認めないと公言しているやないか。それでかいな。各地の自称、風力反対運動では「土砂崩れが~」と言って勝ち誇っている。風車病に苦しむ被害者を弾圧するのが面白くてならない。

優越感。ワシは、オマエより偉いんだぞ、ということの嬉しさよ。被害者は精神疾患のものとまで、国のお墨付きがある。こんな確実な、安全な差別感覚もない。被害者は少数だしな。それも具合の悪い奴はすぐに死んでいる。死人に口なしよ。伊豆や伊方、愛知県や淡路島、山口県や長崎県、いろんな被害地で同じ弾圧が行われて喜ばれている。やがてはこれが日本の精神構造になっている。

反抗するものは消し去るのだ。日本だけ、低周波音被害が否定されている。水俣や福島で大成功したから、簡単な社会コントロールであった。技術の積み重ねがある。奴隷の町だ。私は嫌だね。こんな奇妙な歪んだ社会政策で、人が豊かで楽しく暮らせるはずがない。よかったら、人間性を取り戻そうやないか。悪党のウソに騙されていたら、どこに連れていかれるか分からんで。