三度目の広島

残念な記事だがこれが本当の所だろう。アメリカ人は原発を肯定している。反省などどこにもない。むしろ、もっと殺ってやりゃよかったんだと言っている。インデアンにやったことと同じように。ところが日本人の方はそうではない。復讐心もなく、自虐、過ちは繰り返しませんから、と。

自爆攻撃までして、たくさんの犠牲を出しながら誰一人として抵抗できないのだ。以前、ユダヤ人たちの復讐活動を読んだことがある。本当のことらしい。人の数は、数値の大きさだけではない。そのような気概を持つかどうかだ。日本人のなんとひ弱なことよ。

国際政治でも、日本の政治や行政は機能しない。金儲け主義。グローバリズムと言うけれど、日本主義の危うさよ。日本企業がオーストラリアやブラジルで風力発電を建設していると言う。被害者たちは当然抗議する。それをまた政治が弾圧する。

「お前たちのために風車を建設してやったのだ」と。日本と違うところは、被害者が抗議デモして、怒りを露わにするかどうかだ。被害の中身は同じだからね。日本では、なぜ風力被害に抗議する人がいなくなったんだろうか。以前まであった被害者は、なぜ黙り込むことになったのか。

環境運動家たちは勝ち誇っている。由良さんよ、八百屋へ買い物に行って魚がないと怒っているようなものだよと。同じことは水俣でも福島でも見た。被害者つぶしだ。人は弾圧されると人間性を失い動物になる。そんな人は弱者で少数だから、叩いて虐待することが面白くてならないのだ。

たとえ原発で大量の死者が出たとしても、空襲で町が焼け野が原になったとしても、誰も抵抗できる人はいなかった。政治や行政は、そのとき一億玉砕と言っていたのだ。アホな現実よ。歴史は繰り返すのか。水俣や福島の人と話していて、弾圧する人を見ながら、人災としか見えない被害に泣けてくる。

私も被害者だからね。仕組まれた罠。積み重ねられた策略。そんなにしてまで被害者を黙らせたいのか。国の方針が間違っている。日本人の心を取り戻そう。我々も人権意識を持とうじゃないか。それが三度目の原発を防ぐ原理になる。ヨーロッパに原発は使わない。そんなこと当たり前やないか。