長い戦い

公害は大昔からあって、なにも水俣病が初めてではない。50年ほど前、光化学スモッグが毎日問題にされていたことを覚えているだろうか。排気ガス。大阪市の西隣、尼崎なんか煙で見えなかったじゃないか。みなさん黒い鼻毛を生やしていた。今から思うと可笑しな時代よな。高度経済成長とかで、死ぬまで働き続けていた。

我家は農家なんだが、夜なべ仕事と言って、夜遅くまでやっていたものよ。早朝、暗がりから畑に行って、蜜柑が見えるようになると蜜柑採りを始める。夜八時、暗くなってから蜜柑の運び出し。そして撰果作業。地下タビ履いて寝たという話は有名だ。田んぼは、もちろん二毛作。いつも何かを作っていた。本当によく働いたものよ。

今、水俣映画が公開されている。Twitterなんかでは、クソ映画とボロクソだよ。同時に、添付のような本が出版されている。水俣病は終わっていない。この地域は国の管理下にあって、厳しい統制が敷かれている。まるで魔法の世界だ。差別社会。地域の管理とはこんなにも醜いものなのか。江戸時代のままよ。

そう思っていたら、京大の小林先生たちが由良町に視察に来た時、おなじ言葉を言っていた。まるで徳川時代、封建社会のままですね、と。彼らには見えるものがあったんだろう。被害があってもモノ言えぬ社会。生贄、ターゲットを作って、人物破壊して排除する。原発地域でもそうなっている。支配するとは徹底的な管理を指すのだ。

あるいは金目当ての奴隷になることか。そう言った地域には共通した真逆の人権意識がある。リスク、受容義務。そんなもの許されるはずがないのにね。それを求めるアホな人がいるんだから、世の中は分からない。h24年、私に依頼してきた谷口さんから、「この問題は言ってはならない」由良さんは何も分かってない、と告げられていた。

畑地区の人と一緒に頑張っていく、由良さんとはこれまでだ、と拒否されていた。どこかで聞いた言葉。そうだ40年前、長岡技大にいた時に、八代高専の人から同じ言葉を聞いていた。さらに今も同じ言葉をこの地域の人から何度となく聞いている。「水俣病のことは言ってはならない」と。個々の人にまで、同じ考え方、言葉を植え付けて信じ込ませてしまう。

たとえ被害者であってもだ。被害者にもそれぞれに納得する理由があるんだろう。環境省の方針では、「納得してもらう」作戦が強力に実行された。たくさんの報告書が公開されていたから見た人も多いだろう。こんなものに、なんですべての人が従ってしまうんだろうか。由良町では「風力の被害など聞いたこともない」と言っている。

谷口さんが言っていた「畑地区の人たちと・」とは何だったのか。トリックなんだよ。それは水俣でも同じことだった。被害の原因は違っていても、弾圧の本質は全く同じであった。今のところ誰も復讐しようなんて人はいない。家族の人もいるだろうに、そのどれもが私を拒否していた。「関係ない」と。風力裁判を経て、それがどういうことだかホトホト分かったよ。

私にも、「放っとけ。関りになったらあかん」という人はいた。それでもここまで来てしまったのには、海外の反対運動や抗議デモを知っているからだし、日本では誰もこの被害を訴える人がいなくなっていたからだ。「なぜな?」というより、誰かが真実を言わなきゃアカンやろ。アホも休み休み言え、ということだ。

あの戦争の時でも、神風特攻隊というのがいて自爆攻撃で6000人ほどが死んだらしい。その反面、「振武寮」があって、死ぬに死にきれなかった若い兵隊がたくさんいた。悲惨な現実よ。その上官たちは「ワシも最後の一機に乗って必ず後から行くからな」と言いながら、戦後もノウノウト生活を楽しんでいた。これが日本の現実だ。靖国神社もな。

我家では「あんな戦争で死ねるかよ」と吐き捨てていた。今、ウクライナのニュースを見ても、裏のカラクリが気になってしょうがない。とまれ風力発電の低周波被害よ。人が風車病に苦しむだけでなく、癌や脳梗塞で死んでいく。地域社会は魔法の世界と化していく。被害を訴えた私に対する弾圧の酷さよ。それをなぜ、人は笑い喜ぶのか。

この本の中にも被害者を真似て笑いものにする話が出てくる。そのことを深く反省すると書いてあるけれど、風力被害はそうではない。その人が亡くなると「ワシらは面白うてならんのや」とさらに笑って喜ぶのだ。社会の崩壊よ。これが全国に広がっている。自称、風力反対運動。巧みに偽装された被害隠ぺい作戦だ。

日本だけ「Stop wind turbines」(風車を止めろ)の言葉がない。なぜどこにもないのか、誰も問うことはない。水俣と同じ長い戦いが見える。福島もな。その前に、日本は破壊されてしまうんじゃないかと心配している。