後退している抗議運動

水俣映画が出て、何冊か関連本を読んでみた。どれもこれも苦しみでいっぱいだ。さっそく本に書いてある電話番号に電話してみる。「私は風力発電の低周波被害に苦しんでいるものです。水俣病のことで、これからどうやって抗議して戦っていくのか、考え方を聞かせてほしい」と。

「新聞などで報じているように本当に後退しています。地道にではありますが真実を伝えて訴えているところです」と具体的な詳細な話をしてくれた。私には学生時代から、たまたま、この地域の人と話すことがあって、タブーとされる「水俣病」という言葉に引っかかりながらも「言ってはならない」という考え方もおかしいし、辛いことでしょうと言った。

風力被害も同じ仕組みだからだ。「被害を訴えるものは精神疾患のもの」と環境省の報告書には書いてある。「いいえ、それは違います。水俣病ははっきりと言葉にして訴えるべきことです」その人は明言した。これまでで初めてかな。そんなこと言ったら、さぞや圧力を加えられていることだろうと思ったよ。

少し前にも「水俣病のことを軽々しく言葉にしないでくれ」と怒られたばかりだったからね。「水俣」と冠することが問題だとも聞いていた。私は部外者なので立ち入った事情は分からない(かな)。新聞やテレビ、本で読んだ程度の知識だ。それでもひどい有様は十分に伝わっていると思っている。

あの映画は、意味があって製作されているのだ。風力発電の低周波被害はどうだろうか。本当に誰も風車病を言わなくなった。毎日のように全国で、どんどんと風車が建設されている。そこには必ず低周波被害、風車病に苦しむ被害者がいるはずである。これまでの実績で、すぐに被害者を見つけ出して排除する作戦があるんだろうか。

由良町では、重症の被害者はすぐに死んでしまったけれど、癌や脳梗塞などで倒れる人が目立っている。この情報も全国に伝わっているはずだ。健康被害があるからこそ、世界中で反対運動、抗議デモが行われている。しかし日本では情報管理が徹底している。集団心理の操作に、これほど成功した例もあるまい。

youtube動画にたくさんアップされているから確認して見たらよい。太陽パネルの環境運動も同じで、ナイーブ、というかとても無邪気に退化している。幼児化、それを演じているんだろう。原発を始めろ、と見事に連携している。じゃぁ、土砂崩れが心配だと言うヒステリーは何なんだと思わないか。土砂災害は再エネ被害の本質ではない。

それは土木工事の世界だ。洪水が心配だ、なんて議論はおよそ的を外れている。無邪気すぎる環境運動家の目的は何なのか。グレタさんと同じよな。結局、地球温暖化に収斂するのか。イデオロギー。カルト宗教と変わらない。これが日本の環境運動家であった。誰かがタクトを振っている。水俣病もそうなっていることは分かっていた。

だからこそ、どうやって戦うのかと聞きたかったのだ。被害の本質は同じだ。弾圧よ。社会の歪みよ。どちらの側になるにせよ、中間はない。死んでいった被害者たち、今も苦しむ被害者の願い。知って知らぬ顔して蔑視するその根性が気に食わない。人を不幸にして、その上にご自分の幸せがあるなんて、そんなバカなことがあるはずがない。

下見て暮らせと言うのか。あの戦争の時もそうだった。国の政策が間違っている。竹やり、自爆攻撃、一億玉砕。風力発電も同じやで。水俣病もな。