被害の基準は被害者にある。

水俣病の訴えは先日、最高裁で最終的にダメだとされた。今日の記事にも、認められないとある。映画『MINAMATA』は、水俣市で拒否されたと聞く。被害地はコテンパンだ。ジャーナリストの話では、カネが絡むと難しくなる、と結論していた。

私は風土病みたいなものだと思っているが、地域対策、被害者への弾圧があって、当事者はさぞ大変なことだろうと思っている。なんせ由良町で、風力被害を訴える谷口さんらはボロボロになって消される風景を見てきたからね。40年前、私が長岡技大の学生だった時、たまたま八代高専の人がいた。

「言ってはいけないんだよ」新聞やテレビでやっていることに、何も言えないというのだ。今もそれは変わらない。簡単に水俣病と言わないでくれ、と怒られる。それと並行して、香芝高架橋の低周波公害訴訟があって、汐見先生や小林先生が活躍した。どちらも公害として、被害者の救済に向けて社会が変わるのかと思っていた。全然やね。

きっかけは福島原発の事故だったと思う。被爆に苦しむ人たちがいた。しかし被害は認められない。なぜ? 支援に駆け付けたアメリカ軍にも被爆の被害者がいて裁判を起こしている。こちらはもっと具体的だ。ホンマかいな、と思うほど死者まで出しているというのだ。死の灰が降ったという。

それを浴びた日本人がいたのだ。いわきの人から聞いたけど、恐ろしい話よな。海外ではこのニュースは伝えられている。日本のメディアが報道しないだけだ。「低周波の被害と言うけれど、因果関係を証明してみろ」「関係ない」、行政や環境運動家たちはそう言ってあざ笑う。

やがて地域の人々の嘲笑と差別。最後は泣き叫んで死んでいったよ。低周波被害は頭をやられるからね。それを知った上での笑いだ。私はそれらの人の恐ろしさが忘れられない。なんで人が苦しみながら死んだら面白いのか、それが分からない。「人というものがよく分かったよ」被害者から何度となく聞かされた言葉だ。

それほどに弾圧を受けたということだ。私もやられてるからね。その悔しさがよく分かるのさ。水俣でも、同じような被害者に対する虐待があったと聞く。警察による暴行もな。由良町では誰も助けてくれる人はいなかった。アホにされっぱなしよ。全国各地の被害地でも、同じことが繰り返されている。

「我々は土砂崩れが心配なんだ」と。「障害者の症状だ」と言葉は厳しい。被害があるからこそ弾圧して黙らせているんだね。日本の民主主義、ってさ、恐怖じゃないか。とても多数決の原理は通用しない。人間の破壊があって、上からの支配原理に言葉もない。逆らう事なきを旨とせよ、と。

同紙には、ウクライナの事情もあった。フィンランドでも日本が人気だと言う。どちらもロシアに責められているからだ。小さな島国の日本が、バルチック艦隊を破壊したことが嬉しくてならないのだ。それでも、ま、ここまでにしとこう。戦争はいけませんで。公害による殺戮もな。