忍び寄る死に気が付かないか。目の前で現実に起こっていること。

今、近所の人と話していて、あの人死んだんやってね、と話が始まった。同級生の弟でまだ50代だと言う。それも親の葬式の日に亡くなった。私は村八分だから、基本、誰とも話さない。今日は、たまたま妹の友達だから話ができたのだ。以前のページに、その周辺で3人の人が脳梗塞になってヘンな人になって死んだようだ、と書いた。

その人の息子さんが今回の被害者だ。どの人にも被害感覚はない、と聞いている。谷口愛子さんによると、この辺はそれほど低周波の辛さは感じない。いや、あるにはあるが、それほどでもないから辛抱できるんだろう、と言っていた。人間センサーの証言だ。しかし隣接した続きの3軒で、同じ症状でやられて、今回のは親子で同じ死に方だ。

実は、私はその人の田んぼを依頼されて米を作っている。親父の頃からだから、もう30年以上になる。最近も農業委員会の賃貸契約とかで書類を持ってきたから名前と印鑑を押して、少し世間話をしたのだ。そういえば、なんだか苦しそうだったか。まだ若いのにね。畑地区にも親子で死んでしまった百姓がいて、アレレ、と思ったものよ。谷口さんの隣だよ。

たぶん、気が付いている人もいるはずだ。なんせ私はこの地域に新聞の折り込みチラシにして、風力被害に反対しようと、二回もカネをかけてやったのだ。個人的にも汐見先生の冊子とか、資料を作って風力被害の様子を聞きに回った。途中から迫害、嫌悪の表情で「出て行けっ」と怒鳴られるようになったけどね。その結果が、議員選挙での総スカンだ。

やるだけのことはやって来たと思っている。また別の近所の人も脳梗塞で倒れて具合が悪いと聞く。今、町内の知人とそのことを話すと、「そいつはもともと可笑しな奴やないか。今さら何を言っているのか」、と笑っていた。これが由良町内の判断だ。水俣病と同じだ。各地の風力被害地でも、同じ現象を見ているだろう。

それでも誰も「関係ない」と言って笑っている。被害者であっても、まさか自分が死ぬなんて思ってはいない。皆そうやって死んでいったのに。被害感覚がなかったら、なおさらやろうね。聞こえない音だからこそ、被害にあうのだよ。あちこちの雑誌に投稿を依頼しているけれど、どれもみな、ケンモホロロに断られている。

「そういう研究をなさっている人は他にもいるでしょう。お仲間だけでやられたらどうですか」と。笑いものにされて終わりさ。新聞であれ、テレビであれ、情報誌であれ、絶対に風力被害の投稿は受け付けない。徹底しているね。弁護士らと同じだ。まして洗脳の完成した由良町の人には何を言っても通じない。アホにされるだけだよ。

こんなドラマは、しかしカネを払っても見られるものじゃない。爆弾抱えて自爆攻撃できるのも、実はこんな人間心理のコントロールが自在にできるからだ。人々は簡単に服従する。支配の原理に抵抗するなんて、どこにも見られない。だって、これまで書いてきたように、人々は「町長の言うことが正しいと思っている」と繰り返す。私への蔑視。

優越感に嬉しくてならないようだ。あふれるような笑み、嘲笑が私を刺す。べつに誰が気が付こうが、被害を否定しようが、私にはもうどうでもよい。風力発電を撤去してくれ。まだ死にたくないのだ。なんせ由良家の最後の一人だ。貴重な、天然記念物の遺伝子に気が付いている。風力の魔法は、それは大変な呪いが纏わりつく。悪の花園よ。

どこを切ってみても、悪意しかない。それが面白いと言う。