フィクションの風力発電

前ページでは、国家の幻想を書いた。少し抽象的な言葉遣いになってきたようだ。というのも我々日本人があまりにも政府、国に対して盲目になっているからだ。戦争になっても、公害で苦しめられても、誰も責任を取らないでしょ。空気が日本のすべてなんかい。違うだろう。

本音と建前。みんな本当のことは薄々、感じていただろうにさ。あの戦争の時、赤紙の召集令状が来て、兵隊にとられて多くの人が死んだ。お国の命令だから仕方ないわな、といった知人に対して、「アホ、あれは役場の人が書いていたんやで」と言っていたものよ。赤紙を拒否した人はいくらでもいる。

白洲次郎もドラマで赤紙を拒否したと言っている。裏表のあることは今も昔も変わらない。建前だけでやっていたらとても大変だよ。ところが風力発電の被害と言ったら、発電能力もウソだし、健康被害、自然エネルギー、再エネ、どこを取ってもフィクションだ。低周波音被害が心配だから測定したら「観測できなかった」、とかね。

それで人々が納得するんだから日本の空気とはエライものだよ。先日、ヘリコプターが自宅の近くを飛んでいた。そしたら建具がガタガタとなっている。これって低周波でしょ。耳に聞こえる騒音じゃない。空気振動が伝わってきて建具が鳴っていた。つまり建具、戸を動かすだけのエネルギーを持っているんやで。

風力発電の鉄塔は鉄パイプでできている。昔、s.57年にあった香芝高架橋の低周波訴訟と同じことなんやで。小林芳正先生や汐見文隆医師が奮闘した。鋼桁、中空ホロー桁がトラックの振動により共鳴して低周波を発していたのだ。それと同じ仕組みで風力発電は有害な低周波音を発している。

巨大なブレードが回るたびに、構造的に不安定な鉄パイプが低周波音を発するのだ。もしこれがトラス構造の骨組みであったら、こうまで健康被害は起きなかっただろう。実際に測定して比較すればよい。あるいは、鉄塔にコンクリートを流し込んで振動しないようにすればよい。誰も本当のことを言わない。なぜなんやろうね。

昨日、ふと検索していたら、私の書いた『風力発電の被害』が在庫なし、としてアップされていた。アレレッ、と思ってアマゾンを調べてみると何も変わりはない。在庫は十分にある。いつもの私に対する嫌がらせだ。以前にも、私の名前を使ったページ欄があって、クリックして開くとウィルスに感染するようにセットされていた。

プロの仕業よな。風力事業はカネになる。邪魔者は消せ、ということだ。風力被害を訴えると、たちまち環境運動家たちが弾圧にくるからね。国策なんだよ。彼らは仕事でやっているから、嬉々として少数の被害者を虐待して懲らしめる。塗炭の苦しみに狂っている被害者はコテンパンに消されるのだ。

もともと低周波音の被害は頭をやられる。それに輪をかけて人災が襲い掛かるのだ。役場や議員がそれを固定化する。国に対する信頼なんか幻想でしかないという所以だ。Twitterには各地の風力発電がこれでもかとアップされている。彼らはそれが自慢でならない。私のことを「オオカミ少年」と揶揄して喜んでいる。

自作自演だというのだ。今も由良町では「風力の被害なんか聞いたこともない」と人々は繰り返している。スローガンみたいなものやね。中には本当に悪人もいるけれど、一般にはそう言うことでみんなの仲間入りを果たしているんだろう。奇怪な現象よな。もちろん近隣の町では、そんな由良町の人に対して慎重な笑みを返している。

できれば自分の町には風車はいらないと分かっているから。私のページを見る人が、最近多くなっている。由良町の人は誰もインターネットをしない。Iphoneは電話するだけ。天気予報とかね。風力発電とか、低周波はタブーになっている。北朝鮮よりもすごい洗脳、支配の有様よ。早く二冊目を書かないとな。

でも被害内容が社会問題化していて、社会心理学、国際社会にまで広がっていく。あの戦争の時と同じ有様だ。ゾルゲ事件に見られるように、平気で日本政府は操られていた。誰も気が付かなかったんかい。原爆を二回も落とされて、東京が焼き尽くされても分からない。「過ちは繰り返しませんから」と懺悔する。たまらんね。

風力発電は国家幻想なんやで。すべてはウソでできている。誰も責任を取ることはない。じゃぁ、あの谷口さんらの苦しみ、死亡は何だったのか。被害者にも、人権があるんやで。「納得してもらう」そんなやり方に笑いが止まらない。金儲けのダシにされているだけなのに、何がそんなに嬉しいのか、よく考えてみるがよい。

風力発電に反対しよう。被害に抗議しよう。海外では普通に「Stop wind turbines!」と言って抗議してるで。もちろんドイツでもな。暗い洞窟から這い出よう。今までのたくさんなウソを見破ろう。このままでは日本は滅ぶで。誰が悪いのかは分かっているだろう。それは私じゃないからね。