自分が人であることを証明するために、

風力発電が発する有害な低周波音は、独特なピークをもって倍音、高調波が見られる。音色、響きがある。分析図に表すとそのことがよく分かる。もともと周波数20㎐以下は聞こえにくいとされている。由良町で顕著に見られる被害成分は2㎐の所にあって、風車から1.2㎞離れた我家でさえ30dbの差異で上下に振動している。

この空気振動が原因となって私を苦しめている。エネルギーを持った気圧変動なのだ。人の耳に聞こえることはない。ところが日本の環境省は、この事実を否定している。水俣病顔負けの弾圧をやって来たのだ。たくさんの死者を出しながら、よくもたくさんな学説を並べて虐待したものよ。明らかにウソなのに、カエルの面にションベンだ。

各地の自称、風力運動会では、環境省と連携して被害の否定を広めてきた。あたかも風力被害を心配する風を装いながらだよ。「一般の人には影響はありません。心配いりませんよ」と言ってきた。人でなし。風力被害者の谷口さんからは、「あの人は人間だと思っていない」と嘲られた悔しさを伝えてきた。何重にもスパイ工作員に取り囲まれていたから、弾圧する方はやりたい放題だったようだ。

それがエスカレートして、死んだときには手を叩いて笑って踊って見せる議員たちがいた。周辺の人もその言葉を伝えにくる。「ワシらは面白うてならんのや」と。こうまでされては、何か言わないと収まらないではないか。もちろん私に対する弾圧や被害感情がある。私と同じように被害に苦しみ、抗議した人もいたのにさ。そんな人はすぐに亡くなり、あるいはさっさと裏切っていた。

その狂いよう。その卑しさよ。「恥ずかしいということを知らんのや」とも聞いている。人が生きていくとは、こういうことなのか。水俣でもそうなっているでしょ。言葉にできないというのだ。ジョニーデップの映画『MINAMATA』は、水俣には受け入れられなかった。すっかり破壊されていたし、社会風土が、それを許さなかった。40年前と何も変わってはいない。

被害を受けて死んで行った人たちは、いったい何だったのか。ここに配置された御用学者や環境運動家は、「水俣学において」と大上段に構えて絶叫する。嘘八百なのに、それを恥とは思わない。仕事なのだ。いや、その卑しさよ。人でなしやな、と眉をひそめて通り過ぎるのだ。誰もそのことを指摘する人はいない。これが残念なことだと考える。

日吉フミコや原田正純の足跡はどこにもない。それを見ながらの、一人風力発電反対の意味を発信する。被害者に対する、どす黒い憎しみ、嘲笑いを見てしまったからね。言っとくが、すべての被害者が私を憎んでいた。あの谷口さんでさえ何度、私に「出て行けっ」と叫んだことか。よっぽど私が許せなかったんだろう。

何でや? 洗脳、扇動、みんな一緒に、とかいう地域対策の罠に染め上げられていた。もともとそんな地域風土だから、私の住む門前地区でも同じことだから、私をターゲットにしてみんなで頑張る的な「排除」が確立していた。新たに提案された差別社会はすっかり人々の心に定着していたのだ。だから小便掛けてまで虐待して笑ったんだよ。よくもそんなことできるな。

とうに人間の資格はない。最近の風力発電は静かになったという。あれぐらいならいいんじゃない、と自慢げに言う。卓越した低周波音の被害成分は耳には聞こえない。そのことを何度言っても受け付けない。「低周波音測定器で測ってみなよ。各地の大学、高専にはどこでも置いてるで」と言っても受け付けない。そこまで必要ない、というのだ。

じゃぁ、何が被害なのかも分からないじゃないか、と言っても通じない。彼らの目的自体が風力被害の否定なのだ。被害者を黙らすことに尽きる。これが海外の風力反対運動と違うところだ。真逆になっているでしょ。参加者はみな風力の手先に仕立てられた工作員なんだよ。だから「土砂崩れが心配だ」と繰り返す。絶対に風車病の言葉は出てこない。アホにしまくりよ。

今朝の産経記事には、中国の温暖化補償金の支払いに疑問があると書いている。中国がそんなもの認めるわけないやろ。日本の新聞が、よくもこんなこと書けたよな。怒られるだろう。Chinaに媚びることしかできない日本政府に、これは無理筋だ。台湾じゃない。日本がウクライナになる日が来る。日本人はみな逃げ出すだろうけど。

風もないのに風力発電が回っている。何のために風力発電をやっているのか、日本人も考えてみないか。水俣や福島は他人事じゃない。風力被害を通じて、それは日本の姿になっている。社会の破壊なんやで。