差別の殻に閉じ込める。

「ナラティブ」という言葉が目についた。これまでは物語、ストーリィと言っていたものが、もう少し深堀してみようぜい、と書く。人の意識、認識に影響しているで、というのだ。ロシア、中国の権威主義に対抗する記事なんだが、見て見ぬふりは、どうにもいけないと結論する。ユニクロ、太陽パネルは新疆ウイグルなんでしょ。

なんだか抽象論よな。この辺が学者さんの所以か。産経抄にははっきりと水没や旱魃に資金援助せよ、と書く。地球温暖化の責任は日本にあるというのだから、アレアレ、と読んでいる。前ページに書いた金目の世界だよ。こういうやり方、経緯がナラティブと言うんだろう。無理筋だ。産経抄のCOP記事は狂っている。

ウクライナの石炭がどうしたってか。あれだけ天然ガスを言っているのに、何が温室効果ガス削減だよ。天然ガスの正体はメタンCH₄でしょ。二酸化炭素CO₂より保温効果があるというやないか。無茶苦茶な論理になっている。要はカネだと言いたいだけの我利我利亡者だよ。被害の補償などと、よくも書くな。

これが地球温暖化対策なんかい。笑わせるで。さて風力発電の低周波音被害だよ。インターネット記事を見ても、twitterを見回しても、誰も風車病の被害に触れるものはいない。私一人だけの世界、独り相撲になっている。一人舞台よ。答えは初めからあるから、偽物の環境運動会をこき下ろすだけのツイートになっている。

風力被害を否定する御用学者を担いで偉ぶっている環境運動家たちを見ると吐き気がする。土砂崩れとかさ、自然環境を守れ、だとかさ、被害者とは関係のない物語、ナラティブにワイワイ、ガヤガヤと煩いことよ。「考える会」なんて何を考えるんだろうね。あたかも心配する風を装ってのエセでしかないんだよ。

最初から詐欺だから、いくらウソを積み重ねたって、中身も目的もないわな。いや、風力被害の否定が目的だから、それが面白いんだろう。君らは何が面白くて笑っているのか、と私はいつも悔しく思っている。「人でなし」だと見ている。由良町の周囲には、広川町、日高川町、印南町があって、たくさんの風力発電が林立している。

被害者がいて苦しんでいる。最近の情報では、とても被害を言える状況ではないと聞く。圧力があるらしいのだ。私は由良町で十分にその圧力に苦しめられているから、その悔しさがよく分かる。「ブンブン鳴ってら。誰も何もよう言わんわ」心の奥底からのそんな言葉を聞く。最近の風車は静かになった。それは聞こえる音だけだ。

耳には聞き取れない低周波音がある。それが被害の原因だと言っても受け付けない。拒否の弾圧がまた進化して被害者を貶めて破壊する。それがまた面白いと言って笑うのだ。たしかに風力被害を言葉にする人はいなくなった。だが体調不良と、目まいや体のしんどさに、何が原因であるのか、被害者なら憎しみと悲しみに破壊された心で呪い続けている。

だから海外の風力反対、抗議運動では、どこでも「止めろ」と言って怒っているでしょ。日本の自称、風力反対運動は真逆になっている。ニセモノであることは明白で、誰にでも理解されている。それが差別だよ。日本独特やなぁ、と気が付いている。地域対策の恐ろしさよ。全体主義。マルキシズムやな。南米ではインディオが被害を訴えて、それを地域の人々が一緒になって抗議しているでしょ。

日頃の差別はさておいて、何が悪いのか、誰に抗議すべきことなのか、田舎の人でも分かっているのさ。それが日本にはない。なんでや? というのが私のテーマになっていた。その答えは水俣病の時の原田正純さんの本にあった。ずいぶんとご苦労して真実を伝えたと聞いている。今も御用学者が配置されていて、大変な被害に苦しんでいると聞く。

由良町と同じやな、と思う。策略をもって被害者を貶める。畑地区の谷口さんらの悔しさは、何度書いても書き足りない。人が、人に対して、何でこんなことができるんだ。それに対して人々は、「風力の被害など聞いたこともない」と繰り返す。もう聞き飽きたよ。こんな社会に誰がした。最近の東北や北海道の風力発電を見ても、誰も被害者がいて苦しんでいるなんて話はないでしょ。

そーれいけドンドン、と風力発電を建設して喜んでいる。土砂崩れが心配だと繰り返す。彼らのナラティブを見るとカルト宗教だ。オウムと一緒よ。政治も行政も、風力発電で染め上げられている。ナチス運動と同じ光景だ。誰も手出しはできないし、大体そんな奇特な人は見たことがない。古田武彦の歴史物語を読んだことがあるだろうか。

古代、戦争を経て奴隷とされた人が差別民にされて、それが今日まで固定されて続いてきたというのだ。江戸時代には政治利用されたとも聞く。由良守應の追放理由も、そんな差別社会問題の作り話だった。私の風力裁判も、実に凝りに凝った策略だったと何度も書いてきた。地域の人々は大喜びだったよ。こんなもの相手に、風力被害に抗議しようと話してきたのだった。

ほっとけ、と親父は言っていたなぁ、と懐かしく思い出す。外国の風力反対運動と、日本のそれとは、こんなにも違うという事実を書いた。風呂敷を広げ過ぎたかいな。でも風力発電の低周波音で耳鳴りがして苦しくてならない。他にもたくさんの被害者がいて苦しんでいることは分かっている。その連中は言葉にできないという。これほど日本人がダメだったとはな。降り止まぬ雨はない。

Tomorrow is another day ともいう。先日、珍しい客があった。朝鮮部落出身で、由良町に住んで何ができるか話し合おうというのだ。耕作放棄地がたくさんある。どんどん来ていただいたらいいんやで。と言っておいた。以前にもそんなことがあった。もともと港町だからよそ者ばかりよ。どちらに転んでも賑わいにはなるだろう。日に新たに。そしてまた日に新たに。