風力被害を知ってください。

h23年当時、私は風力発電の被害が、これほど深刻になるとは思わなかった。情報がなかったのだ。h19年に汐見文隆医師が由良町に来て、風力発電の低周波音被害について講演した。私はそのことすら知らなかった。知らされなかったのだ。それは海岸部の阿戸地区でのことであったけれど、次の畑地区でも、勉強会だろうが、報告会だろうが、私には一切の知らせはなかった。

無理に、割り込んだのがh24.2/25日の畑地区の事後報告会だった。(2018.1/20、1/22日のページ参照) 私の住む門前地区でも、何も知らされないんだから、情報管理は徹底していたようだ。よっぽど私は危険視されていたんだろうか。それでか、10年経った今も、執拗に風力被害を訴えて情報を発信している。低周波音被害を受けて苦しいから当然だろう。

谷口さんら被害者からの依頼、周囲の人々の冷酷な仕打ち、行政や政治の弾圧、それから今各地でやっている「土砂崩れが心配です」というエセ運動会。情報管理、洗脳という手段、目的を持った国の政策に真っ向から立ち向かってきた。まず、「知ること」やね。私たちは何も知らなかった。むしろ間違った地域対策の罠にハマってしまっていた。厳重な管理、作戦にやられてしまったということだ。

それは東伊豆町や南伊豆町、伊方町でも同じ有様を見た。低周波音被害にあうと、人はヒステリックになって変わっていく。苦しみながら死んでいく被害者を見ている人がいる。それがなぜ、怒りの言葉一つ残せないのか。抗議できない仕組みがあるのか。海外の情報を見れば、あんなにもたくさんの地域で「Stop wind turbines !」と言って抗議デモしているやないか。日本ではなぜそれができないのか。

それが私の悩みであった。なんせ一人でやっている。汐見先生や窪田泰氏もいなくなっていた。各地の自称、風力反対の人から、「由良さん、アンタはなぜ風力発電に反対するんですか」とアホな電話が来る。「聞こえない音がうるさいなんて、ヘンだと思わないか」とさ。つまり彼らは偽物なのだ。被害者がいて苦しんでいるからこそ、自分が優位な立場にいて、いたぶって笑っている。

我々は土砂崩れなんだという。権力の手先となった環境運動家の典型よな。そのような人に、どんなに低周波音被害を説明しても受け付けない。彼らは宗教になっている。中には仕事でやっている人もいるけれど、それらの環境運動の参加者は美辞麗句のスローガンに酔いたいのだ。地球環境を守りましょうとな。そこには被害に苦しむ人の悲しさ、悔しさはどこにもない。いや、彼らはそれが面白いのだ。

だからこそ私をあざ笑い、聞こえない音が何でうるさいのだとカラカッテ笑うのだ。周波数2㎐にある卓越した被害成分を説明しても通じない。物理的な知識、私は大学の環境科で訓練を受けたから理解しているものの、一般の人には分かりにくいことも分かる。だからお寺の鐘や太鼓の響きに例えるのだが、聞く耳持たぬわ、ということだ。カルトよな。

伊豆でも伊方でも、風力被害に苦しんで、たくさんの被害者が死んだでしょ。由良町では、目の前で、泣きながら被害を訴えたのに人は笑いものにして、その死さえ嘲笑の的になって広がった。いくら説明しても人は笑うばかりよ。各地のエセ反対運動も同じことで、誰一人として低周波音被害に触れるものはいなかった。低周波測定器で測れば、何が被害の原因であるのか簡単に分かるのにね。

全国各地には国立大学や高等専門学校があって、そこには高価な低周波音測定器が設置されている。しかしそれを使って、風力発電の低周波音を計ってはならないというのだ。私が卒業した長岡技術大学も、まったく同じ理由で拒否されたよ。偏見に満ちた、憎しみをぶつけられたものよ。それが成績優秀で、学内で先生と呼ばれる人の姿だったのだ。恥を知れ。

汐見先生はリオン社製のNA-18Aという簡単な低周波音測定器を使って観測した。画面を見ると、グラフ表示、数値表示、印刷、と機能がある。倍音、高調波のあることも分かる。低周波音分析図だ。風車から2㎞離れても、風力発電独特の空気振動があることが分かる。風車の根元に行くと、音圧がとても高くて山や谷のあることが分からない。測定している自分が気持ち悪くなってくる。

「知ること」と「計ってみること」、人の冒険心が必要だ。生きる意欲というべきか。なぜそれが日本人にはできないのか、そんなに日本人はダメなのかと残念でならないのだ。確かに御用学会が用意されていて、風力発電の低周波音被害は巧妙に否定されている。水俣病の時と同じだ。これも知る必要があるだろう。今も水俣では被害に苦しむ被害者がいて裁判をしている。死人に口なしだ。

ジョニーデップの映画「MINAMATA」を水俣市は受け付けなかった。地域の人々の声もない。本当は悪魔の所業なのに、知らん顔しているだけなのだ。40年前と何も変わっていなかった。たまたま学生時代にそれらの人と話したことがあったのだ。それで、由良町の風力被害についても、非道な政策に人々が転落する様を重ねていた。いつか見た風景だったのだ。その人の持っている病気でしょ。

他の人には関係ないでしょ。同じ言葉が由良町でも囁かれている。社会が破壊されると、もう元には戻れない。人は社会を作り、社会は人を作る。そんな所に住みたいか。被害地を見れば明らかではないか。我家は旧家で、ここに千年も住んでいる。妖怪なのさ。先祖の魂だけで真実の被害を書いている。いつまでたっても由良になじめないなぁ。親父も、ワシは東京へ行く、が口癖だった。

京都からの都落ちなのに、京都にカエルは聞いたことがない。私も京都は嫌いだ。でもその文化圏にいる。気位だけで生きていく。奴隷にだけはなりたくはない。