50年前のベルばら

AI人工知能で漫画を描くようになってきた、という記事に対して、私は嫌だと書いてきた。最近、作者の池田理代子さんがテレビなどによく出ている。相当、ハードな仕事をこなしてきたはずなのに、さっぱりした話し方で偉い人は違うなぁ、と驚いている。私は「ベルばら」をほとんど読んでいない。従姉妹の家に行った時、部屋に積んであったのを半日かけて見た時ぐらいだ。それが50年前のこと。

妹たちもたまに読んでいたかな。連載ものなのに、続けて読まなくても結構面白かったものよ。毎回、よく出来ていたんだろう。パーマンとか、お化けのℚ太郎とか、当時はいろんな漫画が流行っていた。AIでは無理だよ。しかし、ふと今思うに、アンシャンレジームとか、ギロチンの悲惨な場面は見事に塗りつぶされている。すべては妄想、作り話なのだ。

だからこそ文化遺産じゃないが、何度も蘇って記事にされるんだろうね。歴史もののマンガは、それこそたくさんあって、中身を見なくても表題だけで何が書いてあるのか分かってしまう。三国志とか、史記列伝のお話とか、動かしようがないからね。それで「ベルばら」を見ても、これがフランス革命か、と思うことはない。初めからマンガだと分かっている。

これこそがマンガの面白さだろう。ルパン三世とか銀河鉄道とか、大好きでしたよ。さて今朝も風力発電の被害を書かなければならない。なんせ私一人だけが風力被害に関わることになってしまった。被害を否定する組織的な陰謀が構築されていて、それが全国各地にカチンコチンに固められていた。村役場、町役場、県という行政単位、政府の支配下にあるから皆さんロボットになってしまっている。

効率の良い支配技術だよ。被害者の悲惨な姿を見て、誰かが声を上げてもよさそうなものなのに、それが誰もいないし弾圧して喜びにむせる公務員しか見たことがない。2018.1/20、1/22日のページにある谷口さんの声を聴いてくれ。なぜ誰も庇ってやれなかったのだ。2019.2/7日のページにある最悪の話になるのか。由良町だけではないことが語られているじゃないか。すべて事実だ。

これを見ても聞いても、とても許せることではない。いや、許してはならないのだ。各地の自称、風力反対運動が、いかにエセであるか分かっただろう。被害者を笑いものにして喜んだ人々と同じように、彼らもまた、仕事だとは言え残酷な連中であることが分かるだろう。「土砂崩れが心配だ」とは、どの口が言っているんだろうね。低周波音被害を否定する。環境省の方針のままやないか。

新聞やテレビも同じことだから、社会政策として被害者を虐待して消し去っているのだ。被害者の悲しさよな。ヨーロッパやアメリカなど、世界中で風力発電の被害に抗議を行っている。日本だけが、その真逆に被害者を弾圧する。それが面白いからなんだが、水俣や福島でも同じ人災が繰り返される。ものすごい低い国だと思わないか。それが日本だよ。

ブラジルの北東部、パライバでも、被害地域の人々が総出で抗議デモをやってるで。オーストラリアでもアフリカでもな。英語で検索したら出てくるで。フランス革命は血で血を洗う流血事件が続いた。そして到達したのが今のフランスだよ。80年前にはヒットラーによって簡単に占領されてしまう。言語も昔はたくさんあったらしい。今は公用フランス語と、一つか二つの方言として残っているとか。

私はドイツ語を習ったのでフランス人にはエラク嫌われた。40年前の学生時代には、彼らは英語すら話さなかったし、ドイツ人に対する憎しみは大変なものであった。今も多分そうだろうけれど、ここまで変わるんやね。時代は変わっていく。価値観でさえな。彼らの民主主義は、こんなにも厳しいものなのだ。それに対して日本の民主主義は上から与えられたものだ。日本人が自ら勝ち取ったものじゃない。

それを風力被害を訴えながら強く思ったよ。指示待ちなのだ。日本人が自ら意志で、風力発電の被害者を助けようなんて事態はほとんどない。精神疾患のものだと言われれば喜んでその言葉に従い差別する。善意なんてどこにもなかったよ。私は違うからね。「ベルばら」の記事を見て、フランス革命を例にして、日本の、なんと低い意識に驚いていた。日本人自身が、自分の意思で変わっていくことはない。

しかしな、吉田松陰などの幕末の志士たちは命を懸けて倒幕、明治維新をやったじゃないか。日本の歴史には何度となくガラガラポンがある。その度に日本は再生できたのだ。よかったら風力発電に反対しないか。もともとが詐欺事業だ。騙されているだけでは面白くないだろう。人生にはリスクは付き物だ。何もしないことほど大きなリスクはないと私は思っている。やりがい、という志だよ。