修羅を生きる。

150年前の明治維新は奇跡だと言われている。その中でも徳川慶喜は別格だね。今でこそ歴史上の判断で、我々は自由に勝手な話を楽しんでいる。しかし当時にあっては、五里霧中、この人ならではの事であったと推察している。由良守應なんか牢屋の中だからね。よくも殺されなかったものだよ。罪状も出鱈目で、私の風力裁判そっくりだ。

人には運があると、つくづくそう思う。慶喜公は家康以来の俊傑だと言われたと聞く。なおさら無念だったろう。その時、紀州藩は何をしていたのか。御三家なんてさ、まるでお飾りだったのだ。よくもこんな所に勤めるな、と藩士になった守應のバカさ加減を思う。組織の腐敗、とうに人材なんていなかったのか。だから守應が活躍したのか。

裏方では、湯浅商人たちが資金援助したという。情報が何より価値があったのだ。彼らは東京に進出して、今は湯浅町にはない。菊池海荘なんて明治の遺物よ。守應は湯浅の海荘宅を買い取ったと聞く。目的は分からない。海荘の風雲雑記だけで、守應との関係を示すものは何一つない。それも暗号文の様な記録、幕末の文書は読めないという。

ふと、坂本龍馬の手紙を思う。今でも読めるからね。あれは初めから広く読まれることを知ってのことだったのだ。守應は達筆で、いくつもの書き物を残している。抽象的な漢文ばかりよ。とても読めない。「あの墓石の文面は守應が書いたんやで」法蔵寺にそんな墓石があるらしい。竜馬との違いよな。

私が徳川慶喜に強く惹かれるのは、どんな境遇に曝されても泰然自若、前を見て進んでいったことだ。勝海舟なんて譜代じゃないでしょ。そんな人が幕引きをする。誰もいなかったのか。風力発電の被害では、これまでたくさんの被害者が抗議しては消えていった。汐見文隆医師や窪田泰らが懸命に被害の原因を伝えていた。しかし誰も反応しない。

今は私一人だよ。世間では「土砂災害だ」という。こんな嘘八百が通じてよいはずがない。こんなバカバカしい話をしても、誰も振り向きもしない。風力被害者は頭をやられるからなおさらだ。日本人はみなそれが可笑しいと言って笑っている。行政は、政治は、低周波音被害を否定して、絶対に被害を認めないから被害者が救われることはない。

それに重傷者になる確率は1%でしかない。生贄として、差別の対象に利用するにはもってこいだ。ユダヤだとか、インディオとか、迫害して殺すのが歴史にある。本当にそれでうまく行っているんだから驚くわな。ただ、それらの人を見ると反吐が出る。人間のすることじゃない。少なくとも、谷口愛子さんが苦しみを訴えて死んでいったことは多くの人が見て知っている。

なんで皆さん手を叩いて踊って喜ぶんだろう。なんで「風車を止めろ」と言ってやれなかったんだろう。弾圧して差別することが面白かったんや。これも運か。おかげで私は今も生きている。狂ってしまった被害者たちとは違う。耳鳴りがする。耳をつんざくキーンッ、という苦痛に参っている。目まいと頭痛、大変な被害に苦しんでいる。

それでもこの被害を訴えないとな。人々が、いかに非道な風力事業に狂っているかを、誰かが明らかにしなければと思っている。海外では当たり前な風力反対運動が日本にはない。そのことを伝えても誰も反応しない。つまりな、いいように利用されている。政治とはそういうものだ。

慶喜公はその後、卑怯者として長く生きた。私の方はあれから10年、すっかり変わり者として村八分だよ。慶喜公や守應に肖れるか。人が生きるのって大変だ。