神坂次郎さんが亡くなられたらしい

ずいぶんと懐かしい名前を聞くことになった。まだ生きていたんや、と言ったら怒られるか。神坂さんは私の勤める建設会社の工事事務所の所長さんだった。何度か我が家に由良守應の取材に来てくれて話したことがある。その本を読んだけど、なんだかなぁ、と人によって見方がこんなに違うんやと感じたものよ。

小説家だからね。彼の世界観があったんだろう。新聞の連載を見ていても、とても文章がうまくて、事務所の所長の仕事ごとは営業の看板であったという話だよ。私が奈良県の柳生の里で剣術遊びをしていた時、刀匠・江住有俊さんも少年飛行兵で同期だから住所を教えてくれと言われたことがあった。

変わり者やで、というと、「変わり者ならワシも負けヘン」と笑っていた。何度か手紙のやり取りがあったらしい。この辺の人たちはとても元気で、あの戦争のことが常に頭に染みついていたようだった。それに対して我家と言ったらまるで何も残されてはいない。落ち武者の家系だからか、手紙一つないのだ。

先日も刀剣友達と話していて、上海の特務機関で働いていた人が、軍歴など何もかも捨て去って、知らん顔して日本でその後を生きていた話を聞いていた。もし何か残していたら殺されていたというのだ。柳生の里では、明治になってから家老ら7人が打ち首にされたという。

柳生街道を、朗々と謳いながらかつての武士が引かれていく。今もその時の光景が昔話として伝えられているという。同じ密偵でも、守應は難局を乗り切ったらしい。その後がいけなかったけどな。私の親父は、まだ守應を知っている明治の社会の事を話していた。昔のNHKドキュメンタリーに神坂さんと親父が出ている。

私が子供の頃でさえ、60年前はまだそんな人が生きていた。まだまだ手の届く昔話だったのだ。年取ると、いやに淋しくなることがある。浦の苫屋の秋の夕暮れ、か。