風力発電の被害

各地のエセ風力の運動会を見て、「隠された十字架」と書こうと思っていた。梅原猛に同じ題名があって、昔、楽しく読んだ記憶がある。あんなものが哲学かいな、と思ったよ。ヨーロッパのphilosophy とはずいぶん違う。ところが私もこのページを書いてきて、段々に、そんな気配を帯びてくる。

隠された真実。いや、もともと誰の目にも明らかなんだが、日本人にだけ見えない不思議な現象に、思索も何も、風車病が苦しいとしか言いようはない。全国各地の風力運動会よ、私の書いた『風力発電の被害』を見るがよい。いかに君たちが偽物であるか、風力の手先であるかその汚らしさを見るこだろう。

だからこの本を書いたとき、君らは「ウソ書くな」と言ってきたのだ。君たちは初めからウソこいてきたからね。真実の被害に抗議してきた記録がとても眩しかったんだろう。私は早く二冊目を書かなければと思っている。被害地域の人々よ。風力の手先の環境運動家たち。政治家や行政の役人のアホらしさよ。

ウソの上塗りは果てしなく繰り返されて、どこを取っても金太郎飴だよ。どこまで行っても突き当たることがない。これが日本病というやつか。かつて、『空気』という本を書いた作家がいた。日本では多数決とか正論ではなく、その場の空気で物事が決められるらしい。戦略とか策謀とか、アルゴリズム、論理構造がない。

真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を見ればそうかなと思う。日中戦争など目を覆わしむる。何のための戦争なのか、と。風力発電の被害も同じことなのだ。h18年の伊豆や伊方の風力被害を見れば良い。それを受けて環境省はh23年度の報告書に「被害を訴えるものは精神疾患のもの」と明記する。

私がh24年に環境省に電話した時には、口汚く罵られたものよ。h18年には、アメリカやヨーロッパではすでに風力被害が多々報告されていた。日本の環境省がそれを知らないはずはない。知っていて、低周波音被害、風車病を否定、拒否したのだ。ニーナビアポントが書いたとおりだ。

各地の風車病否定のトリックは、由良町と同じで、複雑怪奇に満ちている。「土砂崩れが心配だ」のスローガンは、h20年の初めからあった。その他にもたくさんの同じ言葉、キーワードが使われている。誰か彼らの地域対策の言葉集をまとめてみないか。「的外れ」のスローガンを声高々に叫んでいる。

アホちゃうか、と私は思っているけど、彼らはそれが仕事なのだ。私の住む門前地区の区長さんも、「土砂崩れが心配だ」と会合で叫んでいた。まるでロボットの自動音声だったよ。これまで知っていた彼の人間性など、どこかに吹っ飛んでいた。地域社会の温かさなど何もなかった。

「黙れ!」、という弾圧の風景になっていた。どこの被害地でも同じだろう。「風力の被害など聞いたこともない」とさ。この本は必要なら何冊でも増刷しよう。各地の風力被害はみな同じ仕組みだから、とくに珍しくもない。面白いのは、一生懸命に、「土砂災害」だの「地下水」だの喚いている環境運動家だ。

「自然環境を守りましょう」なんて自称、反対デモがあるからね。頭がいかれているでしょ。彼らはネジが巻かれている。宗教と同じ心理操作だよ。それらが今、全国を支配している。国策ってさ、ロクなもんじゃない。自然保護運動も落ちたものさ。海外の運動とは全く違うでしょ。

日本病で済ませられるほど、お気楽な問題ではない。我々日本人が金儲けのダシにされている。あるいはヒツジにされている。家畜と同じ扱いよ。それに反抗できないのが、日本病ということか。私は違う。一人でも、これまでの悲惨な風力被害を訴えていくつもりだ。役場の人たちは笑って喜んでいるけどな。

被害者たちも合わせて喜んでいるところが、風力被害の深刻な風景だ。被害者は、喜んで死んでいったんだよ。