狂気の沙汰

風力発電の被害を訴えてきて、このページを書き続けると見えてくる核心がある。何人かの人から、毎日書くんやで。止めたらアカンで、と励まされてきた。というのも、10年前には伊豆や伊方など各地の風力被害者たちが、それぞれの苦しみをこれでもか、と書き連ねていたのに、今ではすっかり消えてしまっている現実がある。

もともと低周波音被害は頭をやられるし、気力が萎えていく。引っ越してしまえば、いつまでも過去の煩いに関わりたくはないわな。すぐに亡くなった被害者は、本当に可哀そうなことだよ。君、窓を開けて、外に大型風車を回して発電機を稼働させるだけの風が吹いているか確かめてみな。日本にはそんな所ほとんどないのだよ。

30年前の竹下内閣の時、ふるさと資金とか言って、市町村にそれぞれ1億円を配ったことがあった。町のシンボル、ランドマークとして風車を建設した自治体が全国にあったものよ。すべてが失敗で、すぐに撤去された。風なんか吹いていなかったし、メンテナンスにカネがかかり過ぎたのだ。故障が多かったと聞く。

当時の担当者はまだ生きているから知っているだろう。30年も経てば技術が進歩しているか。簡単な仕掛けだから、そんなには変わらない。車の性能を見ても分かるだろう。天気のことは、変えようはない。風力発電の所だけ風が吹くもんか。ハウステンボスの観光風車じゃあるまいに。演出、デモンストレーションでしかない。

可能性を臭わせるのではなく、ここではっきりと断言する。由良町の風力発電に客人を案内すると、皆一様に「ヘンな空気だね」と感じるらしい。もし風車が回っていたら1万倍も音圧のエネルギーが高いんだから、それは分かって当たり前よ。風もないのに風車が回っていたら、やはり、ヘンですね、となる。

ところがその人が、地域に帰ると「土砂崩れ」と言っているんだから、何でや? と腹の立つのも分かるだろう。初めから私に敵意を向ける人もいたけどな。各地の自称、風力反対の人が、御用学者を誉めそやして、さもご自分も環境運動に励んでいると私に言ってくる。今まで、たくさんのそんなアホに出会ってきた。

低周波音被害を否定して、参照値があるとか、閾値、その人の体質だとか、被害者を否定する言葉をどっさりと聞かされる。被害者は堪らんやろな。泣いて私に電話してくるはずだよ。それがまた面白いと言って笑う人々がいる。被害者が死んでも、引っ越していなくなっても大喜びだ。各地の風力被害地はそうなっているでしょ。

癌や脳梗塞で苦しむようになっても、「関係ない」と被害者が言うようになっているけどさ。哀れな被害者だよ。どこまでもカネ儲けのダシにされているのに。弾圧されていることが分からないらしい。心理コントロールの罠よ。10年前の当初はまだ、風力被害に反抗しようとする気配があった。伊豆や伊方、由良町の記事を見るがよい。

それがすぐにかき消されるんだから、地域対策の怖さを目の当たりに見た。警察も悪かった。警官に良心なんかなかったんや。水俣でもそうだったしな。映画にもなっていた。今、この瞬間も全国各地に風力被害者がたくさん苦しんでいる。被害者、それを見ている人、笑いものにして喜ぶ人、様々だ。

英語やドイツ語で、海外はどうなっているのか見て見ないか。「Stop wind turbines」、「protest wind farm」、「Keinwindpark」、キーワードを入れると世界中の風力反対運動が出てくるで。ブラジルなどはポルトガル語、ブラジル語で検索すればよい。原住民、インディオがどれだけ苦しめられていることか。

オーストラリアでも、カナダでも同じことだ。被害者は追われて消されていく。これが現実だ。日本では私一人が風力発電の被害に抗議している。被害地域だけでなく、都会の人でも低周波音被害が分からないと聞く。人が死ぬほど苦しんでいるのに、想像力がないようなのだ。共感力か。いや違う。人が苦しみを訴えて死んでいく。

手を叩いて笑うんだから、何かを知っていて、それが嬉しいのだ。これが現実だ。「畑地区で、風力の被害など聞いたこともない」そんなメッセージを何度となく伝えられる。同じ地域に住みながら、よくもまぁ、そんな言葉が出るものよ。悪魔だね。由良町の現実だよ。