無責任な世の中よ。

産経の電力逼迫と云う記事を見た。相変わらず再エネと原発の広告しかない。ウクライナの戦争で、石油や石炭、ガスがどれほど貴重なのか分かったくせに、本当の記事には触れることはない。ドイツに行けば、実際にどうなっているのか分かるのにね。ドイツ語で検索して調べろってか。英語でも十分に情報は飛び交っている。日本ではそれが厳しく管理されている。

日本では電気自動車が普及すると宣伝されている。和歌山ではほとんど見ないなぁ。今でも電気が逼迫しているというのに、それが自動車に電気取られたら、益々ダメになるんと違うか。風力や太陽パネルの電気が、自動車のエネルギーになるんだろうか。どうも違うな。環境運動家の言うことなんか、すべては安っぽい受け売りだ。Parrotな記事というんだろう。

Twitter ではまたもや福島の被害者を弾圧する記事が溢れていた。悪党どもよな。10年前、蒲公英工房での風力被害の話に、「コラボでやったらどうですか」と言われて戸惑ったことがあった。私がどれだけ風車病に苦しんでいるのか分からんのかい、と怒りさえ持て余したものよ。しかし今になって思えば、水俣と言い、福島と言い、被害者に対する弾圧は何や、これが日本の姿か、と愕然とするのだ。

私にそう言った若者は、第三者として早くも被害の本質を見抜いていたのだった。渦中で苦しむ私にはそれが見えなかった。ただ、彼らはその後の風力反対運動で、「土砂崩れが心配だ」と言っている。低周波音被害、風車病の言葉は使わない。つまり、被害者はいないことになっている恐ろしい心理ゲームだ。近くの下津町、大窪地区の被害者はさぞやうんざりしたことだろう。それが目的であったのだ。

運良く風力計画を中止にした連中、地域は、大体がこんな風に取り澄ましている。目の前に風力発電があって、その被害に苦しんでいる人がいても知らん顔よ。だから私がいつも紹介する海外の風力反対デモと、いったい何が違うんだろうか、と不思議でしようがないのだ。それほど日本人はダメなのか、アフリカでも南アメリカでも、ハワイの原住民でさえ、風力被害を訴えて抗議デモを行っている。

なんで日本人にはそれができないのか。こんなに詐欺に罹りやすい人たちもないわな。オレオレ詐欺も、日本独特と違うか。しかも、風力被害だと、騙されていることが自慢の種になっている。倒錯、転倒、転落、何とも言いようのない嫌悪に襲われる。私は村八分だけれど、どうぞ、それで結構ですからと、とてもお仲間になろうなんて気にはなれない。

なかには仲よくした人もいたけれど、今はすっかり風力側に付いて喜んでいる。「被害のことは本当は分からんことや」と。世の中には私より頭のいい人がたくさんいて、正義感も十分にある老若男女が溢れているハズなのだ。どうか皆さん、何が悪くて、何が間違っているのか、ハッキリと判断しようじゃないか。谷口愛子さんの話を聞いた人も多いだろう。

伊豆や伊方、その他にもたくさんの風力被害地があって、それぞれに被害者が苦しんでいる。twitterにあるように、被害者を弾圧して喜ぶなよ。その逆に、被害者を助けよう。それが国際基準だ。