風力発電に狂う人々に

「町を挙げて風力事業に取り組む」、「全員参加でやっていく」、由良町役場に出入りしていた時、そんな言葉が繰り返された。今もそのままに、いや、さらに被害者の管理を強めていることだろう。水俣や福島を見たら、国のやることは厳しいな、と、つくづく思うのだ。私はよく戦争の時の自爆攻撃のことを書いている。

ニューヨークの9.11事件の時も、ジハード(聖戦)と言って、同じことかとピンときた。ところが日本では神風、特攻とは全く違うと言っていたものよ。何がどう違うのか。人の命に違いはあるまいに。靖国と、アラーの神の、どちらが偉いと言うのか。私は靖国神社は必要な施設だと思っている。その上で、自爆攻撃の犠牲者、国策の命令の隠ぺいに利用されるのはアカンでと思っている。

自爆攻撃したければ年寄りがすればよかった。なにも10代の若者を騙して強行することはなかったのだ。日本の全体主義。この本には、そこらの日本人がいかに何も考えることなく国の方針に従って、せっせと働いているアホらしさが書かれている。日本独特の閉鎖社会よな。今の参院選を見ても、レベルの低さに仰け反るではないか。電気代とか、エネルギー問題とか、ウクライナの事とかさ。

新聞の解説と、政党の意味?、「我々〇〇党は~」とか言う政治言葉の空疎なことよ。由良町の21基の風力発電を見ながら選挙カーが、「皆様の命を守ります」と言っている。アホにするなよ。ナニ党にしろ、言葉だけ聞いても誰がどうだか区別はつかない。結局、由良町では自民であり、公明や共産になるんだろう。民主なんて言ったら笑われるからね。

ところが前ページにアップしたように、どの党も風力発電の低周波被害を否定している。由良町では誰一人として抗議の言葉を漏らすものはいない。あの時、あれだけ政治家の事務所に押し掛けて助けを求めたのにだ。ボロクソにアホにされたからね。その反動として憎しみが私一人に収斂したんだろう。アホな被害者たちよ。と思っていたら、そうでもないことがこの本には指摘されている。

私も原発建設に関わっていたから、福島の人の心理も少しは気が付いている。福島から人々が逃げ出した時、彼らは東電社員に対して怒るよりも、発電所の心配、東電の仕事を気遣っていた。自分たちが住むところを無くして右往左往している最中でだよ。同じことは由良町でも見た。「風力で一番困っているのは役場の人やで」と。アホかいな、アンタは死にそうになって苦しんでいるんやろ。

役場はそれを否定しているんやで。いくら言ってもそれらの被害者に通じることはなかった。「由良さんは門前地区で一人でやればよい。私たちは畑地区の人と一緒に頑張っていく」そして彼らは次々と死んでいった。役場は当然その事実を知って知らん顔している。伊豆や伊方の被害地でもな。ただの空想なのに。幻想でしかないのにさ。これだけ夏が暑いと、人々は風力エネルギーに期待するんだろうか。

風もないのに風車が回っている。長崎のハウステンボスの電気仕掛けの風車を見ただろう。日本人は誰もその不自然な回転を疑問に思わない。日本では、20年ほど前から東京周辺で、筑波で、風力発電所の実験が何度となく繰り返しただろう。記事になっていたから見た人もいるだろう。すべて失敗だった。原因は、風車を回すだけの風が吹いていなかったことだ。

イノベーション、革新的な技術開発が重要だと言う。そんなものあるはずがない。現実の世界がウソに覆われているだけだ。試しに横浜港の風力発電の実績を見れば良い。見なくとも想像はつくだろう。全くダメなことは初めから分かっているはずなのだ。戦艦大和や武蔵と同じで、何の役にも立たなかった。その意気込みだけよ。期待外れは分かっているはずだ。

答えはこの本を読んでいても分かっていた。昔読んだ安岡正篤に似たことが書いてある。真実は一つよ。さみしいことだが、私一人でも本当の被害を書き続けるしかない。風力発電の被害は、だれも責任を取らないんやで。日本人が税金で、せっせと貢いでいる。金儲けして笑っている人がいる。社会の破壊。後戻りのない転落。これが日本の運命なのかい。