何か大切なものが消されている。

このページを書きつけてもう10年経つ。文章もこなれてきた。書くほどに、何が悪いのかも明確に浮かび上がってきた。人のやることだから隠し通すことはできない。まして巨大な風力発電のことだ、騒音も響き渡るし、費用も嵩んでいることが手に取るように分かる。風もないのに風力発電が回っている。このカラクリに気が付く人もいるだろう。

海外の情報を見て、日本とはなんと違うなぁ、と彼我の差を見た人もいるだろう。同じ機械、同じシステムなのに、日本だけ、なんで? その疑問は常にかき消されている。プロパガンダ、心理コントロールの嵐だ。添付記事、四国の四万十川の風力計画の顛末だ。10年前から環境運動家たちが情報収集に出入りしたと聞く。

特殊な風土があるらしくて難しい人たちだと言っていた。由良町は50㎞の海を隔てて徳島放送のラジオがよく入る。徳島に巨大な風力発電が建設されて彼らは絶賛して喜んでいた。伊方などで悲惨な風力被害があることを知っていながらだよ。まさに犯罪だと聞いていたものよ。この記事はいつもよく聞く「風力計画を退けた」話を伝えている。

しかし何かおかしいとは思わないか。この近くには大洞山風力の被害者がいる。伊方町や愛南町などの被害者がどっさりいて苦しんでいる。それを見て、これは大変だ、と思ったことだろう。じゃあ被害者は、風車病の被害のあることを伝えるだけで、「お人よし」でしかないのか。

「ワシらは土砂崩れが心配なんだよ」という低周波被害者を弾圧する作戦と、彼らを無視する、それ以上関わらないきれいごとで済ます反対運動で、結局は被害者を弾圧する側に付いていることを喜んでいる。つまりな、巧く風力計画を逃れたとしても、実際に被害に苦しむ人をコケにして無視する態度は人間として転落者だと言うのだ。

一度でも被害者のために、その原因である行政や風力業者に抗議したか。被害者がいて苦しんでいるから風力発電を止めろ、と言ったか。ここに風力発電の闇があった。真っ黒だ。日本では、全国各地に自称、風力反対運動らしきものがあって、環境運動家やら御用学者が蜷局を巻いて待ち構えている。国の方針、行政や政治とピッタシ一致している。

利権の塊だよ。野鳥の会などの自然保護団体を見たら分かるだろう。アセスの報告書作成業務も利権・カネなんやで。「アセスをしっかりやってください」と環境運動家たちは言う。私はその言葉を最初に聞いたとき仰け反ったよ。だって私はアセスの大家、早川典生先生の授業を長岡技大で2年も聞いていたのだ。アセス、環境影響事前評価書は、事業をスムーズに進めるためにある。

事業者が作成して都合の良いように取りまとめる仕組みでしかない。トリックなのだよ。被害は認めない。被害があるからこそ反対、抗議する。被害もないのに計画だけに反対して喜んでいる環境運動家とは何者なのか。海外ではどこでも「Stop wind turbines」(風力発電を止めろ)と言って抗議している。被害者にも人権があると言っているのだ。

ところが日本にはそれがない。被害者が死のうが喚めこうが、差別と偏見の嵐だよ。精神疾患のもの、環境省の言うとおりに行動している。いくら言葉を代えても環境省の手先でしかない。法律よりも大切なものがある。人間の尊厳だ。各地のエセ運動会は被害者となった人々を踏みにじり優越感に高笑いする。まさに転落した人だ。神は死んだ。

真実は常に目の前にあるのに、人々はどうしても悪意のある方に魅力を見る。最近、水俣映画やそれに関連する本が出ている。風力被害と、同じことだと見ている。「水俣病と同じやな」そんな表現が続いている。正義を取り戻そう。外人さんにアホにされる原因になるんやで。対等に話ができなくなるんやで。それも自らの意思で転落するんやで。それが分からないままにな。