残念なジャーナリストたち

以前にも「被害を訴えないジャーナリストたち」と題してこの会を紹介した。6/4日の会の事では被害者たちは同じ思いを抱いていたことだろう。それだけに期待?というよりも関心を持って眺めていた。「やっぱりな!」予想していた通りだったとはいえ、何だこりゃ、と悲しみに暮れた被害者もいるだろう。反対でも抗議でもない。

抽象論。何を言っているのか? 詭弁でしかない彼らの言葉を見て、これが日本の姿なんだと正直に思う。先日も福島の被ばく被害に苦しむ人を、散々に悪口叩いていたからさ。メディアやジャーナリストなんてこんなものでしかなかったのだよ。カス。あほ。いらんわ。水俣の悲惨なことは何度も書いてきた。

「言ってはならないんだ」という人々の悲しよ。水銀中毒だけじゃない。水俣独特の偏見と差別の風土病だと思っていた。ところが風力発電の被害でも、まったく同じやり方で弾圧が強行されていた。水俣と、同じ言葉を何度も聞いたよ。地域対策の結果だ。被害者のなんと弱いことよ。ヒツジにされるとはこういうことだったのだ。

それをまた、ここに紹介するジャーナリストや環境運動家は嵩にかかって攻めたてる。勝つ側に付かないとね。皆さんそれぞれに生活がある。だってこれで飯食っているんだもの。風力にしろ、太陽パネルにしろ、よっぽどカネになるんやね。全国にはこれでもかとエセ反対集会、考える会が結成されて「土砂崩れが心配です」と繰り返す。

御用学者を担いでは低周波被害を否定する。悪の花園よ。彼らはあたかも被害を心配する風を装っての詐欺だから、相当な組織力、環境省や業界とのパイプがある。言っている言葉は変えていても、内容は全く同じだよ。虐待、弾圧が仕事なのだ。私は、添付した海外の抗議デモのように、なんで日本だけ「STOP」(風力発電を止めろ)の言葉がないのか不思議に思っている。

日本人とはそれほどにダメなのか。由良町での被害者に対する虐待を見るにつけ、なんでまた? と残念でならないのだ。知らないのではない。知っていて、弱者となって苦しむ被害者を弾圧して笑っているのだ。アメリカやヨーロッパ、アジアやアフリカでも、世界中で被害者はきっぱりと被害に抗議している。日本だけ、なぜな!