日本の凋落

私は百円売り場をやっている。母の時代からだから、30年以上にもなるか。ワンコイン100円玉だから、いくら売れたところで知れている。近所の百姓連中も同じことをやっていて、それぞれに「どうよ?」と気になるらしい。盗人も多いからね。30年も物価の値段が変わらない。

GDPの表を見ると、マイナス(-)になっている。デフレなんか。そういや、母の方が売り上げが多かったようだと思い出す。商売上手なだけでなく、人々に購買意欲があったんだろう。いや私もバブルを体験したから、昔の華やかな時代を知っている。両親はせっせと働いてアパートを二棟残してくれた。

今は住人が少なくなって、スラムと化している。楽な経営はない。農業をしていても、肥料代が倍、農薬代が1.5倍、それに年とったら体のしんどいことよ。風車病のせいもあるけどな。それは地域ではタブーになっている。私に対する人々の視線は厳しい。谷口さんら被害者は泣き叫んで死んでいったのに。

それを笑いものにして喜ぶ人たちとはいったい何者だろうかと思うのだ。あたかも心配してくれていると思った人が、いつの間にか嘲笑いの目で勝ち誇っている。すごいな、と思う。水俣や福島でも同じ風景を見た。被害者に対する蔑視。優越感。体制側にあると自負して喜んでいるのだ。

被害者でさえ、そのようになるんだから人間の愚かさは際限がない。金儲けのダシでしかないのにね。私はよく「日本だけ・」と書いている。その原因がこのGDPなんだろうか。この20年間で-20%か。零落の光景よな。海外の人から見たら、それはアホにされるんやろうね。私は清貧で良いと思っているけれど、国際政治ではそうもいくまい。

前ページにも書いたように、太陽パネルも風力発電も外国製で、使いもしないクズ電気に多額の税金を支払うのも外国企業だと言う。ボロボロにやられっぱなしよ。政治も行政もすっかり転落していた。各地の自称、反対運動は「土砂崩れが心配だ」、「海の砂が心配だ」とヘンテコな理屈をこねている。

誰もそれがおかしいとは思わないのだから、それが私には不思議でならない。風車病は頭をやられるとはいえ、海外では地域の人々が協力して反対運動、抗議運動を展開している。日本にはそんなものどこにもない。その原因がこのGDPなのか。憎しみの連鎖なのか。答えは初めからあると私は思っている。

しかし当の日本が、すっかり植民地化されていた、人々がロボットになっていた。これだけ全国で風力被害を見ながら、誰も抗議できないでいる。それを土砂災害だ、という反対運動に、人々は無条件に従っている。あるいは御用学者の言うとおりに被害はないと信じ込んでいる。まるでカルト宗教よな。

日本人が蘇る日は来るんだろうか。それよりもウクライナを見て、日本の平和主義に感謝しているんだろうか。誰も日本の転落を止められないのか。最近の水俣映画は、現実を見て、何が必要なのかを教えてくれる。人間としての尊厳、誇りを取り戻すのだ。そう思わないか。