古い尺八の話

近所の禅寺の和尚と話していて、我が家に残る尺八の話になった。もともとの由来は、南北朝の動乱の時、楠正成の一党が虚無僧に身をやつして全国を行脚したと言う。我家では誰も尺八は吹かないから、かなり昔のものだろう。云い伝えられた言葉は「笛吹にはなるな」と何度か聞かされたことがある。

祖母や曾祖母は楠家の娘だから、微妙だ。「笛吹にはなるなと言われているけど、我が家には3本も尺八がある。ヘンな話よ。歌舞音曲はダメとかね」「もう一つの意味があるでしょう」と和尚。74歳で戦後ベビーブームの真ん中だ。生き抜くのが大変だったと言いながら、元気者の多い世代だ。

私が世話になった人たちもこの世代が多い。人数が多かったんだろう。今、静かにそれらの人の引退が進んでいる。よくお分かりだ事よ。我家のことは筒抜けらしい。h23年11月末、谷口さんから悲鳴のような被害の電話があった時、親父に「どうする?」と相談した。「話だけ聞いておけ。絶対に手を出したらあかん」親父には結論だけがあった。

そうすることもできたのだ。親父は三男坊の割に家訓に忠実だった。アホな長男坊の私にはそれが分からない。だって私も被害に苦しんでいたからね。被害者たちの惨状が、これでもか、と分かっていたのだ。泣き叫ぶ、いや、とうに狂っていたよ。私は黙って居たらよかったのか。いやいやそんなことは絶対にない。

答えは初めからある。誰かが被害を訴えなければならないだろうと突き進んだのだ。そして今、一人ぼっちになった私がいる。わりと清々している。黙って、知らんふりして関係ない」などと言えるかいな。せっかくの昔の先祖には申し訳ない。堪え性のない気ままな性格なのだ。さて今日の産経記事にはいつもの「ゼロ炭素」の言葉が踊っている。

世界中で石油や石炭、ガスが不足して困っているという。国際政治は難しい。陰謀論でにぎやかだ。それでも日本人には何のことやら分からない。ドイツ人にさ、再エネがあるからロシアのガスはいらないじゃん、と言って見な。笑われるで。その感覚が日本人にないのが不思議でたまらない。田舎者。アホ。カモ。

だからこんな記事が堂々と繰り返されるんだろう。全国のエセ風力反対運動と同じだ。もはやカルト、宗教にまで昇華している。オーム教みたいだよ。こんな笛吹きするから、全国の環境運動家から嫌悪されるんやね。由良町の人たちからもね。あるはずのない妄想を言葉巧みに講演する。

SCAM(詐欺)でしかないのに、日本人には誰も分からない。あの戦争の時のように、竹槍もってアメリカと戦うと言う。12歳の少年だよ。アホにされっぱなしだ。もちろん私のことだよ。