これは違うな。

今日の産経記事によると、コロナワクチンを打っていない人は2割ほどいるらしい。私は山の中の蜜柑畑にいるし、家族はいないし、誰とも話さないからワクチンは打っていない。由良町でも私だけだろうと思っていたら、たまに「由良さんもワクチン打ってないでしょ」と話しかけられたりする。

ワクチンを打たない人は、その人を見て分かるらしい。でも、ほとんどの人が打っているから、私のようなのは特殊人種だろう。それが目立つのか。由良町で一人、ワクチン接種後に副作用で亡くなったと聞く。新聞記事にはならない。噂話が町内に広がっている。かなり詳しい口コミのドキュメンタリーだよ。

3回目のワクチンは、とても辛んどいんだってね。これもあちこちで聞かされた。私のことをアンチ・行政だと思っているのか、かなり真剣に情報提供してくれる。笑ってしまうよ。次の4回目のワクチン接種は、かなり敬遠されるだろう。さて今日の『正論』よ。諂諛(てんゆ)というのか、何をそんなに持ち上げているんだろうか。

ここまで日本社会が褒められると、これは違うな、と、とっさに引いてしまう。英語で「キャンプ」は強制収容所を意味するらしい。別荘暮らしとか、刑務所のことかと思っていたよ。日本でも、もちろん同じことをやっている。情報操作と洗脳だ。日本人こそ、服従、支配に弱い人々はいないだろう。

私がいつも書くように、風力発電の被害地を見ると、人々のアホさがよく分かるではないか。ニューヨーク、ロンドン、といった国際都市なら話は別だ。東京でもな。しかし地方に行くと、フリーダムコンボイ(自由だ)という人がいる。すばらしいじゃないか。私はそれらの人を見て羨ましくてならない。

なんで日本人にはそれができないのか、とね。カナダ、トロント、オンタリオ州の風力被害に対する抗議デモは世界的に有名だ。「Stop wind turbines」 日本では、これまで誰も言葉にできない被害の本質を、堂々と訴えて抗議しているではないか。この迫力は何に由来するんだろう。

日本の環境運動が、いかに偽物で、ウソだから、これだけの差が明らかになるのだ。私は日本の環境運動家を見ると恥ずかしくてならない。彼らは風力や太陽パネルの手先として、嘘八百の受け売り言葉を繰り返す。Parrot(オウム)だよ。そんなものに踊って喜ぶ人たちも同じようなものだけどさ。

情報が溢れている。氾濫状態だ。何が正しいのか、何が悪いのか、敏感に察知しなければならないようだ。旧約聖書の『ノアの箱舟』を思い出す。たとえ人々にバカにされようと、信念をもって自分の道を切り開く、そんな生き方が生き残りを左右する。あの戦争の時もそうだったと聞いているから。