忘れさられた物語

私が風力問題に関係したのはh23年11月末、谷口さんから夜の7時頃電話があって以来だ。谷口さんはh18年に、自宅にふらりとやって来た風力業者に「山の上に風車を建設するので現地を見に来た。行く道を教えてほしい」と頼まれて、裏山へと続く里道を案内したという。

今から振り返ってみるとヘンな話よな。その時から地域対策は始まっていた。たぶん一本だけ風車が建つんだろうぐらいに思っていたらしい。それが出来てみると16本も裏の山々に林立している。近い風車は700mほどだ。山の上にあるから、まるで頭の上で回っているようだと言った。

その頃から急に体調が悪くなる。中地区の2000kw、5本が立つと、もう我慢が出来なくなって、私に悲鳴のような電話をよこした。その時には同じ畑地区で、同じ被害にあっている人がいないか探し回ったという。すでに二重サッシにして、防音工事をして補償金を貰っている家が4、5軒あった。

今後一切の苦情申し立てはしないという契約書を交わしているという。(谷口さんから聞いた話だよ)。2018.1/20日、1/22日のページに谷口さんが訴えている声をアップしている。役場職員も同意しているから本当のことらしい。添付の記事によって、由良町の風力被害は全国に知れ渡った。

地域対策は激しさを増す。これまで友人だと思っていた人が次々と裏切りを見せる。私もやられているから、その酷さが分かるのだ。あれほど信頼して選挙運動に協力した同級生の町長からは鉄槌を下される。「アイちゃんからは何も聞いてないで」と。

私は笑ってよいのか、怒ってよいのか、議場で立ち尽くしたよ。畑地区で行われた勉強会の記事がある。私には知らされなかった。とうに追放されていたからね。二重サッシにしたら良いと書いてある。そして二週間ほどして、それが間違いだとして訂正記事が載る。誰も気が付かないやろう。

谷口さんの投稿記事は、見た人も多いと思う。たくさんのスパイ、工作員に取り囲まれて、私にも「出て行けっ」と叫びながら、ボロボロにされて、よく書けているではないか。最後は人々から苛め抜かれて死んでいる。私の家までそんな言葉を伝えに来た人がいるんだから、よっぽど憎まれていたんだろう。

今の私も相当に憎悪の対象にされているけどね。風力発電は社会を破壊する。風力発電は悪いものだけれど、風力被害を通じて、「人というものがよく分かったよ」と、何度も私に伝えてきた。社交家で、誰とでも笑顔で話せる特技があったようだが、結末は悲惨な姿だった。

最後の時、夜の8時過ぎ、2、3度電話があったけど、私は酒を飲んで寝込んでしまっていた。またいつもの愚痴だろうと夢うつつに思ったのだ。次の日の朝、死んでいるとこを発見したと電話があった。今、誰もが「風力の被害など聞いたこともない」と言ってあざ笑っている。すごいな。

人というものがよく分かったよ。全国のエセ反対運動では、「土砂崩れが~」と繰り返している。これが被害の本質だと、誰も気が付く様子は見られない。私一人でも、この物語を拝見できたことに運命を感じている。おかげさまで『風力発電の被害』は全国に行き渡ったと思っている。

今も風力発電の低周波で耳鳴りがして苦しい。なぜ日本人だけが、風力被害を訴えられないのか、それほどダメな民族なのか、そのアホさをこの10年噛みしめている。