水俣裁判

40年前、昭和58年に大学を卒業したころ、水俣病のニュースを何度もやっていた。たまたまのこの地域の人が技大にいて、そんなものかと、和歌山に公害のないことを有難く思ったものよ。(実際は石油コンビナート、住金の煤煙や低周波被害があった)。技大は全国から学生を集めている。広島の人がいて、被爆二世、とか三世とか、被爆の差別を聞いている。

被害者はみな、差別されて苦しんでいたようだ。同じ時、香芝高架橋の低周波公害の裁判が行われて全面和解、私のやっていた土木の世界では、橋梁の設計指針が毎年、変更されていた。それまで経済設計だとして、安く、早く、全国に鋼橋が掛けられていたものが、振動と疲労破壊の有様が明らかになっていく。

小林先生の振動計を使った計測データは、橋梁設計を根本的に変更することになった。頑丈な作りになったのだ。もともとがアメリカ、ヨーロッパの物真似だったからね。日本でも独自の技術が培われるきっかけになったようだ。自慢を一つする。私は和歌山工専出身で初めて『構造解析Ⅰ』を一回のテストで突破した。

林正教授の人気講座だったけど、難しくて一回や二回では通してはくれない。私は自分でも、設問に対して、答えの仕方が間違っていることを承知で、「私の理解する範囲で近似解を求めます」、と断って、静定、不静定を組み合わせて計算結果を書き記した。結果は60点。ギリギリの恥ずかしさいっぱいの評価であった。

後日、大型特殊構造物の設計に携わったけど、これがスタートラインにあったと思っている。とまれ水俣裁判よ。映画MINAMATAにされてアメリカ人にも驚かれている。ところが日本人にはそれが分からない。なんせ被害調査をしない。御用学者が集められて被害否定のオンパレードだ。学者という人種を地に貶めたものよ。

企業城下町という。それだけではあるまい。あれから何度となく水俣の人と話す機会があったけど、水俣特有の風土だな、と思っている。「水俣病のことを軽々しく言ってもらいたくない」と彼らは言う。そうだろう、しかしな、それはトリックやで。ごまかしよ。その昔、日吉フミコ議員らが必死になって被害を訴えていた。

昔日の風景は今はない。ジャーナリストたちでさえ、お金の話にすり替わっているという。何度かドキュメンタリー本になっていたので電話して話したことがある。どうも違うな。正直な感想だ。国が、行政が、堅固な仕組みで覆っている。管理社会の典型だ。被害地になると、こうも過酷な締め付けが権力によって行われるのかと驚いたものよ。

福島でもそうでしょ。伊豆や伊方の風力被害地は、まだ新しいから覚えているでしょ。由良町なんかすごいで。人々は、その差別社会、下見て暮らせ、関係ない、と言っては笑いものにするようになっていた。あの水俣病で活躍した弁護士なんか、風力発電は電磁波だ、と言うんだから驚くわな。

土砂災害だ、と叫ぶように繰り返す御用学者とかさ。地獄に落ちろ。そんなアホに罰を与えることはできないのかと思うのだ。彼らだって飯のタネだろうけどさ。まったく同じことは風力裁判で行われている。下関の風力裁判は有名だ。国家犯罪だ。それを環境運動家は大喜びして囃し立てる。

よっぽど嬉しいんやね。由良町の有様を見ても、これが日本の風土か、と思えてくる。いやいや、まだまだ先がある。自分が何者であるのか、この風力被害を通じて考え見渡すことができたのだから。

<速報>水俣病被害者互助会の上告 最高裁が棄却(熊本日日新聞) – Yahoo!ニュースhttps://news.yahoo.co.jp/articles/20e77e9bc0c3ae70227c55c279fb943df1589a36