民主主義の幻想

海外の風力反対運動、抗議デモを見ていて、なんで日本には被害を訴える人がいないのか? 私にはそれが不思議で、何回となく小林先生に質問を続けている。「日本の民主主義は与えられたもので、自ら勝ち取ったものじゃない」先日の回答はそんな結論だった。私の親の世代は、昭和20年を挟んで、価値観がすっかり入れ替わった時代だ。

祖父母の時代は明治だから、ヨーロッパやアメリカの情報があったらしい。自ら進んで海外に出ていった明治の気骨を聞いている。何も残されてはいないけれど夢いっぱいの100年前だった。由良守應がいたからね。ヨーロッパやアメリカ人は権利意識が強い。そして逞しい。私から見ても、彼らは自信たっぷりに生きている。そうでないのもいるだろうけどな。

ヘロドトスの『歴史』を読んでいても、彼らが軽蔑すべきものがちゃんと書いてある。奴隷、だ。戦争に負けた、だけでなく、集団を頼りにして何もしない、言いなりになって安全を図る、集団主義に埋没する衆愚は大昔からあったようだ。そんな人たちを大層軽蔑している。その感覚は、今とほとんど変わらない。例えば、全国各地の風力被害地の人々と同じ光景だ。

黙っていたら、愛想笑いして媚びていたら何も起こらないと喜んでいる。吐き気のような人たちよ。アフリカやハワイの原住民たちでさえ、「風力発電は危険だ」と抗議している。その人たちには大した教養や学歴などはないだろう。正直に、感覚的に、これは危ない、と判断しているのだ。ハワイの風力の抗議運動では原住民を55人も逮捕したとある。

地域の人々が協力してNO、ダメだ、と言っている。日本人にはないpure、精神性を見る。なんや日本人は民主主義を理解してなかったんや。人に対する思いやりもない。水俣や福島を見てよく分かったよ。映画MINAMATAはアメリカ人の驚きだよ。それが日本人には分からない。昭和20年、終戦の詔の草案を書いた安岡正篤は、その後もグダグダと文句を言い続けた。

その中で先祖は南朝方で戦ったと書いている。我家もそうだから、やっと最近その意味が分かってきた。年とると分かることがありますな。反骨だよ。それが日本の民主主義に繋がるかどうか、まだ私には分からない。しかしアメリカから、上から与えられた民主主義よりも、私の背骨になっていることは間違いない。

警察や行政の言うように、低周波被害には基準も法律もない、と断言して笑う支配者など、本来、あってはならんわな。被害に苦しむ者を弾圧して笑いものにする。これが風力発電の被害だ。そして、これが日本の民主主義の姿であった。水俣や福島を見て、由良町を見て、わぁ、いいわぁ、なんて思うか? アメリカ人でなくともアホにされるで。

各地の環境運動家や自然保護団体のアホらしさよ。風力発電に反対と言いながら、何で土砂崩れが心配だと繰り返すのか。下劣さが丸見えだ。先日話した環境運動家は、NHKでやっているグレタドキュメンタリーと同じ言葉を繰り返していた。トレンディーだと思っているらしい。ヘロドトスの書く軽蔑すべき人たちだ。私にはカルト宗教に見える。

被害者に対する思いやりはどこにも見当たらない。いや、彼らには被害のあることが面白いのだ。風力踊り。アホよら、アホよら、と言っては手を叩いて踊ってみせる。ここまで社会は転落していたのだ。