風力発電の被害とは、簡単な論理なんや。

「風力被害とは土砂災害だ」と絶叫している風力反対運動が各地にある。洪水が心配なんです、と言う参加者たちの言葉に、アレレッ? この人たちは何を言っているんだろうかと不思議な気持ちになるのは私だけではあるまい。

英語やドイツ語で、「protest wind farm」、「Kein windpark」と検索すると、海外の風力反対運動の様子がドッサリと出てくる。どこにも土砂災害や洪水の話はない。これで日本の各地で行われている、自称風力反対運動は言っていることもやっていることも、海外の抵抗運動とは中身が違うことが分かる。エセ、トリックなのだ。

以前に紹介したh20年の風力反対運動でも、「土砂災害が心配だ」と新聞記事に書いてあるから、最初から地域対策として言葉狩り、言葉のすり替えが行われていたことが分かる。日本ではh19年に、伊豆や伊方、そして下津町や広川町で低周波被害、風車病の惨禍が伝えられている。

各地の環境運動家、新聞屋が知らぬはずはない。まして行政はね。由良町役場には多い時で、日に4回も5回も、風力発電の被害について電話があったと聞いている。しかし役場担当者は、「風力発電に関する問い合わせの電話は一つもない」と証言している。

伊豆や伊方の役場に電話すると、「今はもう被害を言う人はいません」と答えが返ってくる。ご苦労なことだよ。倫理感覚はどこにも見当たらない。アウシュビッツの看守さんと同じで、何も感じないのだ。それどころか酷い言葉を浴びせて撃退しているから、それで被害者たちは私に役場に電話してくれ、と、せがんだのだ。

被害者に対する虐待。策略をもって人を貶めて消し去る。偽物の反対運動を使っての被害者の封じ込めと被害の隠ぺい。これが風力被害をより悲惨なものにしたんだろう。水俣病でも地域住民に対する差別が酷かったと聞いている。そして被害を訴えると山ほどの嫌がらせを受けたという。

風力被害者は頭をやられるから簡単に動物にされていた。人々の笑いものよ。ところが被害感覚のない人でもガンになったり、脳梗塞でヘンな人になっていく。本人たちに自覚症状がない分、お気楽な転落だ。

Pathway to disease(風力発電は病気になる)とオーストラリアの裁判所が判決しているのに、それが世界の共通認識であるのに、日本では絶対にそんな情報は伝わらない。大体、そんなこと言っても誰も受け付けないからね。聞けども聞こえず。見れども見えず。社会が丸ごと心理コントロールされている。

試しに、ウィキペディアで、風車病とか、Wind Turbine Syndromeで検索すると、見事に被害を否定している。水俣病でも同じようなものだ。それを誰も非難することはない。そんなものだと笑っている。可笑しいじゃないか。汐見文隆医師やニーナビアポントの本には、酷い被害否定の書評が書かれている。

風力被害を言葉にされてはいけないらしい。余計に風力事業の極悪が際立つわな。私に対する弾圧も止むことはない。憎しみの連鎖があるらしい。こんな片田舎の由良町なのに、すっかり由良守生はスケープゴードとして有名になっている。貧富の差、だけでなく、学歴差、人間の格差が明らかに提示されるのだ。

しょせん人は不合理なものだが、現実の不合理に耐えられないんやろうね。べつに貧乏が恥でも何でもないのに。すっかり人物破壊が完結していた。それでも死んでいった被害者たち、奴隷になった人々を見渡すと、まだ人間らしく生きていこうとする気持ちのあることに自信を深めている。

すでに誰も風力被害を訴えることはない。私を冷笑し、嘲笑うことで、体制の中で安心できると確信しているのだ。これが由良町だけでなく、全国各地で同じ光景になっている。「我々は土砂崩れが心配なんだよ」その言葉を聞くたびに笑っているのは私一人だろう。カネを払っても、こんな面白いドラマを直接見ることはできないだろう。

日本の社会は明らかに転落している。谷口さんらの死に対して、誰も責任を取らない。笑いものにして喜んでいるだけだ。さぁ、次はどんな無秩序な弾圧と統制が襲ってくるんだろう。風力被害とは、簡単な低周波被害だと思っているが、人災として、まだまだ酷い惨禍が待ち構えているようだ。

低周波測定図に示したように、風車が回ると40dbもの音圧がアップする。対数表示だから10000倍のエネルギー変化だよ。雷や地震と同じ低周波空気振動で、不安、緊張、恐怖の感覚が刷り込まれる。これは罠だと考えない方がおかしいわな。